ゆらぐ蜉蝣文字
□第1章 春と修羅
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. 詩ファイル「おきなぐさ」
03おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)
04松とくるみは宙に立ち
05 (どこのくるみの木にも
06 いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)
「質直(しつじき)」は、『法華経』に出てくる言葉で、
“飾り気なく素直で柔軟な性格、仏の教えを素直に受け入れる状態”
を言うそうです☆
☆(注) 「衆生既信伏 質直意柔 一心欲見佛 不自惜身命」(如来壽量品 巻第16)〔仏の教えに信伏し、心も柔軟で素直になると、一心に仏と同じ境地になりたいと身命を惜しまぬようになる〕。ちなみに、『法華経』の中で、賢治作品によく現れるのは、この「如来寿量品」ではないかと思います。仏教系の賢治研究者がよく言う「化城喩品」などは、あまり関係がないような気がします。「如来寿量品」の思想は、一神教や西洋哲学に近い──受け取り方によっては、ユートピア思想に繋がると思います。
オキナグサの柔毛(ニコゲ)に包まれた花や茎葉、あるいは綿毛のようすから、
法華経に説かれている素直な心の状態が連想されたのかもしれませんね。
「松とくるみ」:
野生のクルミには
《オニグルミ》と《サワグルミ》があります。
オニグルミは、食用の胡桃(シナノグルミなど栽培種の実)に似た小型の実を付けますが、
サワグルミの「実」は、風で飛ばされる小さな種子で(カエデの実のような羽根がついています)、食べられる実ではありません。
しかし、ここに描かれているのはサワグルミでしょう★:画像ファイル・オニグルミ 画像ファイル・サワグルミ
★(注) 詩に「…くるみは宙に立ち」とある樹形や、「どこのくるみの木にも/いまみな金の赤子がぶらさがる」⇒5月頃に花穂が垂れ下がるという特徴から、サワグルミと思われます。なお『春と修羅・第2集』の「岩手軽便鉄道の一月」には、「さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し」とありますから、花巻の瀬川畔には、サワグルミがあったことが分かります。
04松とくるみは宙に立ち
松(アカマツ)とサワグルミは陽樹ですから、開けた川辺には多いと思われます。
2種ともに幹肌は荒く、ごつごつしています。
原っぱの丘や、川沿いの明るい疎林地を歩いていると、アカマツ、クリ、サワグルミなどの荒い幹が、天に向ってすくっと聳え立つ姿が目立ちます。
05 (どこのくるみの木にも
06 いまみな金のあかごがぶらさがる)
胡桃形の実を想像してはいけません(笑)
サワグルミの実は胡桃形ではありませんし、オニグルミの実は垂れ下がりません。
それに、サワグルミもオニグルミも、実がなるのは9月〜10月ですから、
5月中旬のスケッチに描かれた「金の赤子」は、実ではありません。
サワグルミの枝から垂れ下がった花穂でしょう。
「金の」と言うのは、
ぎっしりと垂れ下がった花穂が、日の光に透かされて、金色に光って見えているのだと思います。
ところで…ここには、同性愛者である賢治の悲哀が表れています。
「どこのくるみの木にも」「いまみな」という含んだ言い方に、特別な感情がこもっているのです:
同じ年頃の友人はみな結婚したり子供がいたりするのに
結婚どころか女性との恋愛さえ考えられない同性愛者の秘密が、重い悲しみとなっているのです。
07ああ黒のしやつぽのかなしさ
08おきなぐさのはなをのせれば
09幾きれうかぶ光酸の雲
「黒のシャッポ」は、賢治が愛用していた“オカマ帽”でしょう。
帽子をかぶって散策している有名な写真(1925年撮影)がありますが、
花巻農学校に就職した1922-23年頃には、すでにこの「黒のシャッポ」を愛用していたらしく、
『春と修羅・第1集』にも、しばしば登場します。
1922年3月:『農学校精神歌』完成記念。左から川村悟郎、堀籠文之進、宮澤賢治。堀籠は賢治の同僚教諭で、21年盛岡高農卒業。川村は賢治と同学齢だが、この年盛岡高農を卒業。ヴァイオリンが得意で、堀籠の紹介により、賢治の作詞した『精神歌』に作曲した(賢治と堀籠が手直し)。堀籠と賢治は“黒のハット”をかぶっている。
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