ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
11ページ/114ページ


1.2.6


──おそらく、賢治の頭にあるのは、仏教や日蓮宗の信仰ではなくて、東北や中部地方で山沿いの地方に伝わる古来の山岳信仰だと思います★

★(注) 岩手山でも古来、山岳信仰は盛んで、薬師火口のへりには《三十三観音石仏》が並び、岩手山神社奥宮、一升目(9合目の次)石標などがあります。宮沢賢治も、秋のお彼岸に岩手山に登って、日の出前の薬師火口で法華経を読経したり(第5章【54】「東岩手火山」)‥岩手山をしっかり信仰してる感じなんですが、作品では、岩手山をあえて“真正面”には描かない感じがします。「ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」と、率直そのもの真正面から岩手山を歌う石川啄木とは、大きな違いだと思います。たとえば、古来の山岳信仰の対象としては、やはり岩手山の主峰薬師岳と薬師火口が中心でして、鞍掛山を対象とする信仰というのは、じつは聞いたことがありません。そのほか、賢治作品によく出てくる“信仰スポット”は、下で引用する『狼森と笊森、盗森』とか、山頂の西側にある《御釜湖》とか、《焼走り熔岩流》とか、《沼森》とか、とにかく、一風変った場所が選ばれています。

あるいは、↓童話『狼森と笊森、盗森』に描かれているように:

「そこで四人よつたりの男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃へて叫びました

『こゝへ畑起してもいゝかあ。』

『いゝぞお。』森が一斉にこたへました。」

と、このような農民の素朴な自然信仰なのだと思います。

ところで、ここから先は、やや読み込み過ぎになるかもしれないのですが。。。

アルプスの神々しい冠雪の峰々と言えば‥南アルプスと八ヶ岳の冠雪の高峰を眺めて育った保阪嘉内のことが想起されます。

ギトンは関東住みなので、南アルプスは、ときどき望む機会があるのですけれども、とくに、中央本線や飯田線に乗って近くから眺める冠雪の山々は、とくべつのものだと思います。人の魂をゆさぶる何かがあるのではないでしょうか。。。

魂を囚にするというか、‥還ってゆくべきものに出会った思いというか、‥恋のとりこになった気分にも似ています‥w

宮沢賢治は、保阪と何度か岩手山に登っているようですから、冠雪の岩手山を前にして、保阪が故郷から眺める八ヶ岳、南アルプス・白根三山などの姿を聞いていたと思うのです。

そして今、‥岩手山は雲に隠れていますが、その手前の鞍掛の雪を見ながら、

08ほのかなのぞみを送るのは
09くらかけ山の雪ばかり

やはり、賢治は、保阪と「どこまでもどこまでも一諸に行こう」(『銀河鉄道の夜』)と誓い合った・あの輝かしい日々が忘れられないのです☆

☆(注) 保阪嘉内については⇒いんとろ【8】たったひとりの恋人:保阪嘉内。なお、この「古風な信仰」という表現は、“かつて内密な友愛の証しとして誓い合った絶対真理への帰依”を指しているだけでなく、そうした誓いをもたらした湧き上がるような青春の《熱い》情念をも含意しています。ふたりの《熱した》時代の《熱い》情念については、天沢退二郎氏、秋枝美保氏の議論を参照しながら【第8章】で詳しく論じることになります。

ともかく‥この・やや不可解な詩の背後には保阪がいる──それはもう、まちがえないと、ギトンは思うのですが。。。


【3】へ
第1章の目次へ戻る



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ