ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
105ページ/114ページ



【18】 休 息





1.18.1


. 春と修羅・初版本


   休 息

01そのきらびやかな空間の
02上部にはきんぽうげが咲き
03 (上等の butter-cup(バツタカツプ)ですが
04  牛酪(バター)よりは硫黄と蜜とです)
05下にはつめくさや芹がある
06ぶりき細工のとんぼが飛び
07雨はぱちぱち鳴つてゐる
08 (よしきりはなく なく
09  それにぐみの木だつてあるのだ)
10からだを草に投げだせば
11雲には白いとこも黒いとこもあつて
12みんなぎらぎら湧いてゐる
13帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
14ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
15あくびをすれば
16そらにも惡魔がでて來てひかる
17 このかれくさはやはらかだ
18 もう極上のクツションだ
19雲はみんなむしられて
20青ぞらは巨きな網の目になつた
21それが底びかりする鑛物板だ
22 よしきりはひつきりなしにやり
23 ひでりはパチパチ降つてくる

次のスケッチ「休息」に移ります。日付は「習作」と同じ日曜日で、野原と藪の散策の続きです。

場所は、草が生えていて、「どて」(14行目)があり、「ぐみの木」(9行目)もあるので、花巻城址の《本丸跡》と思われます。:⇒画像ファイル:花巻城址(冬)

日曜日で、学校の勤務はお休みですが、
佐藤勝治氏によれば、当時この花巻城址は、放置されて草木が伸びほうだいに伸びた・恐ろしげな場所だったので、
人は誰も来なかったそうです。

誰にも邪魔されずに《心象スケッチ》をしたい宮澤賢治にとっては、まさにおあつらえ向きの“隠れ家”だったのです。

. 画像ファイル・花巻城址←こちらの画像ファイルで、「本丸跡」と書いてある写真を見てほしいのですが、

賢治がここを“隠れ家”にしていた当時は、この平らな《本丸跡地》は、いちめんに雑草や灌木がぼうぼうに生い茂っていたはずです。
奥の《本丸》のへりが高くなっているのが見えると思いますが、

それを拡大したのが「本丸の土塁」という写真です。
もともと、本丸に敵が侵入するのを防ぐために土盛りされた土塁ですから、賢治の当時は、もっと高かったはずです。
これが、賢治の言う「どて」だと思います。

01そのきらびやかな空間の
02上部にはきんぽうげが咲き
  〔…〕
05下にはつめくさや芹がある

「きらびやかな空間」と言っているのは、《本丸跡》の草はらに寝転んで見上げた景色でしょう。キンポウゲは背丈の伸びる草で、まっすぐ上に伸びた茎の先に、小さな黄色い花をたくさん付けます:画像ファイル・キンポウゲ
そして、地面に近い下のほうには、シロツメクサ(クローバー)やセリが茂っているのです。
つまり、「煌(きら)びやかな空間」とは、作者の目がある草むらの空間です。‥‥なんとミクロな、草はらの自然の一部になってしまったような眼なのでしょう‥

‥ギトンが小学生の時に読んだ“理科童話”に、
兄と妹が、“はかせ”の造った“からだが小さくなる薬”を誤って飲んでしまい、ハエより小さい身体になって──もちろん、小さくなるのは身体だけですから、ふたりとも、すっぱだかで──草原に迷い込んで大冒険するというのがありました。

たぶん宮澤賢治も、お城の草むらの中で、そんなことを夢想しながら、いろいろな花鳥童話のアイデアを練ったのではないでしょうか?‥

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ