ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.17.9


典拠資料になるのは、『冬のスケッチ』の次の部分です:

「ぢっとつめたく、松のあしのうごくをなが
 め居たれ
  〔…〕
 ここの並木の松の木は
 あんまり混み過ぎますよ
 あんまり枝がこみあって
 せっかくの尾根の雪も
 また、そら、あの山肌の銅粉も
 なにもかもさっぱり見えないぢゃありませ
 んか。すこし間伐したらどうです。
  〔…〕
 雪がふかいのならば
 仕方もありませんけれど
 これではあんまり
 みちがくらすぎはしませんか。
  〔…〕
 和賀川のあさぎの波と
 天末のしろびかり
 緑青の東の丘をわれは見たり
    ※
 (赦したまへ。)
 この層はひどい傾斜です。
 おまけに峡谷にはいりましてから
 にはかに雪が増しました。
  〔…〕
 あすこが仙人の鉄山ですか。
 雪がよごれて黄いろなあたり。」

(『冬のスケッチ』30,8,9,10葉)



和賀仙人鉱山跡(坑道内部)
お借りいたしましたm(_ _)m⇒和賀計画


『冬のスケッチ』のうち第(28-)30,8-12葉は、用紙に残っている綴じ穴などから、この順につながっていたと推定されています。そして内容も一貫していて、和賀仙人鉱山(当時廃坑)への小旅行のスケッチと思われるので、《和賀断片》とも称されます。

岩手県和賀郡は、花巻を含む稗貫郡の南隣で、現在の地名で言うと、東北本線北上駅(賢治当時は「黒澤尻」駅)から北上線を西へたどり「ほっと湯田」駅を経て秋田県境までの地域です:画像ファイル・和賀
県境の奥羽山脈に和賀岳(1440m)を中心とする和賀山塊があります☆

☆(注) 和賀山塊は、交通の便はよくありませんが、秀麗なブナ林に覆われた別天地です。《銀河高原ビール》の工場があります。ギトンも北上市に泊って日帰りで登ったことがありますが、いつかはテントをしょって山中泊で行きたいものです。

仙人峠のあたり、現在の「和賀仙人」駅、「ほっと湯田」駅のあたりには、かつてはたくさんの鉱山があって賑わっていました。
賢治は、しばしば和賀へ出かけていますが、鉱山に興味があったほか、石灰石採掘の事業を興したいと考えて良質の石灰岩を探していたようです。例えば、「雲とはんのき」(1923.8.31)に、

. 春と修羅・初版本

「わたくしはたつたひとり
 つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
 一挺のかなづちを持つて
 南の方へ石灰岩のいい層を
 さがしに行かなければなりません」

と書いています。

仙人峠近くには《和賀仙人鉱山》があって鉄鉱石を産出し、すぐ近くには木炭溶鉱炉を持った製鉄所(1907年発足)も造られていましたが、第1次大戦後の不況のために1920年ころ鉱山・製鉄所ともに休止し★、閉山しました。

★(注) 小野隆祥『宮沢賢治 冬の青春』,1982,洋々社,p.200.

「あすこが仙人の鉄山ですか。
 雪がよごれて黄いろなあたり。」

とありますが、その後の部分には、閉山後のゴーストタウンのような状況も描かれています。

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