ゆらぐ蜉蝣文字
□第0章 いんとろ
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【2】 もうひとりの“宮澤賢治”
0.2.1
作品は、作者と切り離しがたいのか?‥それとも、作品となった以上、作者から独立したものとして、作者のあれこれとは無関係に鑑賞すべきなのか?
文学作品を、ただ書かれたままの文字として‥いっさいの背景から切り離して読むことは、日本では難しいのかもしれません。。。 和歌、俳句のような短詩の伝統が、いまでも根強いですから。
たった31文字の作品を、いっさいの背景を考慮せずに理解しようとすれば、‥31文字分の貧困なイメージしか湧かないかもしれません。
作者“本体”を掘り下げるか、切り離すか、‥そのへんの兼ね合いは、その作家の性格や創作態度によっても違ってくるかもしれません。。
中原中也などは、個々の詩を、独立した一つの作品として、それだけで鑑賞できると、よく言われます。
たとえば、
「こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる」(秋の一日)
という詩句は、中原中也という人をまったく知らなくとも、読んで味わうことができます。
たとえ、作者を詳しく知ったからといって、それは作者なりの受け取り方を深めることにはなるかもしれませんが、この詩の価値は決してそれだけにとどまらない‥、万人万様の広がりを持っているように思われます。
宮沢賢治の場合は、これとは逆で、
賢治童話をたくさん読んでいる人でも、はじめて彼の詩にでくわした時には、戸惑いを感じないでいられないでしょう:
「あすこの農夫の合羽のはじが
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年代の
佐野喜の木版に相当する」(丘の眩惑)
などという句は、これだけを詩として鑑賞しろといわれても、首をかしげるばかりです。
宮沢賢治の場合には、──“作品は作品として読むべきだ”という建前は建前として──じっさい問題として、作品の書かれた背景(時と場所)や作者の“人と思想”、また、作者のほかの詩作品を、知って読むか‥誤解して読むか‥によって、受ける印象が大きく違ってしまうことは、否定できないのです。
宮沢賢治の詩作品が、そのようなものである原因は、おそらく幾つかあると思うのですが‥、思うままに挙げてみますと:
@ 作者宮沢賢治は、詩人になろうとして詩を書いたわけではなかった。かと言って、片手間や気休めに書いていたわけでもない。詩人を自分の生涯と定めた人以上に真摯な内奥の衝動に突き動かされて書いたのだが、
それはどこまで行っても、“名づけ得ない”無定型な内奥の衝動でありつづけた。それが“作品”を生み出そうとする衝動なのかどうかは、ついに作者自身にも解らなかったのではないか?‥
そのため、彼のある詩作品を理解しようとすれば、必然的に、それが“へその緒”のように繋がった彼自身の無定型なものへと遡らざるを得ないのではないか?
「中原中也は、詩人いがいのないものでもなかった──中原じしんが、そうであろうと欲して、それに生涯をかけてしまった。ですから、その生涯の核心をなす中原の思想は、中原の詩の魅力をたぐりにたぐって、その究極の深みに、さぐりあてるほかありません。〔…〕
これにたいして、宮沢賢治は、じぶんの生涯を、詩人であること・文学者であることにおもいさだめたわけではありませんでした。いったい宮沢はなにになろうとしたのか、生涯、ついに決着がつかなかったごとくにさえみえます。〔…〕
すべてこれら〔科学者、宗教家、文学者──ギトン注〕の臨界線において、宮沢の資質や個性をこえたなにものかが、逆にいっそう、宮沢をして、時代と社会の内部にひそみ、またあらわれるところの不可能性のほうへ、ひきよせているごとくです。」☆
☆(注) 菅谷規矩雄『宮沢賢治序説』,1980,大和書房,付録「著者へのインタビュー」,pp.1-2.
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