ゆらぐ蜉蝣文字


第0章 いんとろ
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0.7.5


A しかし、「恋と病熱」ほどではありませんが、22年3月2日の「ぬすびと」も、次のように、『冬のスケッチ』の中に、対応する断片があります:

「このとき凍りし泥のでこぼこも寂まりて
 街燈たちならぶ菩薩たちと見えたり」
 (『冬のスケッチ』,15葉)

「〔…〕
 そこを 黒装束の
 脚の長い旅人
が行き急ぎ
 遠くで川千鳥が鳴きました。」
 (『冬のスケッチ』,32葉,手入れ)

にはかにも立ち止まり
 二つの耳に二つの手をあて
 電線のうなりを聞きすます。

 (『冬のスケッチ』,16葉)

   ↓
《初版本》に収録された「ぬすびと」↓↓
《初版本》

「   ぬすびと
 青じろい骸骨星座のよあけがた
 凍えた泥の亂反射をわたり
 店さきにひとつ置かれた
 提婆のかめをぬすんだもの
 にはかにもその長く黒い脚をやめ
 二つの耳に二つの手をあて
 電線のオルゴールを聽く


したがって、《心象スケッチ》が開始されたのは、3月2日付の「ぬすびと」の断片をメモした時だったと解することも、できるかもしれません。

B さらに、4月8日付の作品「春と修羅」も、“出発点”の候補に挙げてよいかもしれません。

もっとも、作品「春と修羅」は、最初のほうの幾つかの語句が『冬のスケッチ』にもある、という程度です:

灰いろはがねのいかりをいだき
 われひとひらの粘土地を過ぎ
 がけの下にて青くさの黄金を見
 がけをのぼりてかれくさをふめり
 雪きららかに落ち来れり。」
 (『冬のスケッチ』,44葉)

「白光をおくりまし
 にがきなみだをほしたまへり
 さらに琥珀のかけらを賜ひ
 忿りの青さへゆるしませり。」
 (『冬のスケッチ』,47葉)

   ↓
《初版本》

「心象のはいいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり
 のばらのやぶや腐植の湿地
 いちめんのいちめんの諂曲模様
 (正午の管楽よりもしげく
  琥珀のかけらがそそぐとき)
 いかりのにがさまた青さ
 四月の氣層のひかりの底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ」


新しい活動の出発点が、春で、4月、というのは、なんとなく区切りがよいかもしれません(しかも、賢治にとっては、はじめての職業生活の中で迎える新年度です)。

新たな気分のみなぎる中で、最近のいくつかの断片的なメモを作品「春と修羅」にまとめ、さらに、すこし前のメモの中から、「ぬすびと」と「恋と病熱」をまとめ、こうして《心象スケッチ》という方法のイメージが出来てゆく中で、「屈折率」以下も創作した‥と想像できるかもしれません★

★(注) 作品「春と修羅」を出発点とする・もっと大胆な説を唱える人もいます。佐藤勝治氏によれば、最初に刷り上った《初版本》には、「屈折率」から「恋と病熱」までの詩篇は無く、詩集本文は作品「春と修羅」から始まっていた。賢治は出版前に、現・本文冒頭を新たに印刷させて追加したというのです。しかし、佐藤説では、「序詩」と「屈折率」〜「恋と病熱」は、同時に追加されたことになるので、「序詩」になぜ「二十二箇月」と書かれているのかを、説明することはできません。また、入沢氏が批判されるように、《初版本》印刷経過に関する佐藤氏の論証は、無理がありすぎて受け入れがたいと、ギトンも思います(ただし、これを原稿成立過程に読み替えたら、また違ってくるでしょう。『春と修羅』冒頭9篇の完成度が際立って高いことは、諸家の一致して認めるところですから)。佐藤勝治『“冬のスケッチ”研究』,増訂版,1984,十字屋書店,p.132;入沢『プリオシン海岸』pp.336-344. なお、佐藤氏の著は、賢治の時代の花巻の地理について貴重な資料を提供しているだけでなく、賢治詩の読み方を学ぶ上で有益な示唆に満ちています。一見難解なように見えて、じつは作品の各処にヒントを散りばめているのが、この詩人の特徴です。ギトンは大枚をはたいて古書を求めた甲斐があったと思っています。詩の研究に限らず、故佐藤氏の多方面にわたる賢治関係業績については、いつか述べる機会があるでしょう。

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