ゆらぐ蜉蝣文字
□第0章 いんとろ
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0.7.4
そういう前提で考えてみると、
「恋と病熱」は、その内容にも、「序詩」の「二十二箇月」「影と光のひと鎖づつ」に対応する点があるのです:
菅原千恵子氏によれば、妹・トシ子が重篤の結核で病床にあったこのころ、「賢治は自分自身の苦悩のために〔…〕トシの病床を見舞う花もとってゆけなかったのだ。」「トシにまで心配りができないほど、自分が抱えているある問題で頭はいっぱいだった」☆
☆(注) 菅原千恵子『宮澤賢治の青春』,角川文庫,p.183.
つまり、「恋と病熱」の「恋」とは、妹に対する‘近親相姦の恋情’などではなく、賢治は、自分の恋愛問題で頭がいっぱいだったのです。
《初版本》
「おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」
(「松の針」)
↑これは、のちにトシ子の臨終の床で書かれた作品の一つですが、賢治は、「ほかのひと」への恋情──愛憎の波浪に揺れる心情をかかえていたのです。
菅原氏によれば、「ほかのひと」とは、賢治の同性愛の対象である保阪嘉内であり、一般には許されない同性愛であればこそ、その恋情は、ただちに信仰からの逸脱として、自責を呼び起こしたのです:
《初版本》
「ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粹やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
〔…〕
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない」
(「無声慟哭」)
臨終の床にあるトシ子に対して、
自らは信仰から脱落し、道ならぬ恋情のさなか(青ぐらい修羅)にある賢治は、
「おまへは自分に定められたみちを/ひとりさびしく往かうとするか」と呟いて、さびしく見送ることしかできなかったのです。
「ふたつのこころ」とは、「巨きな信のちから」を信ずる禁欲的博愛の心と、同性愛的愛憎に翻弄される《修羅》の心を言っているのだと思われます。
このような「ふたつのこころ」の分裂相克、「影と光」の交錯は、「恋と病熱」にも表現されていましたし、
そればかりでなく、『心象スケッチ 春と修羅』全篇を貫くテーマといってもよいのではないかと思います。
このように、「恋と病熱」は、この『春と修羅』のテーマが初めて結実した記念すべき作品であり、賢治の《心象スケッチ》の出発点となる象徴的な位置にあるのです。
そうであればこそ、
「恋と病熱」以来22ヶ月間の作者と周りの世界・人々との「明滅」交感の記録、「二つの心」「影と光の一くさりづつ」、「そのとほりの心象スケツチ」こそが、この詩集にほかならないと、作者は宣言しているのです‥
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