ゆらぐ蜉蝣文字


第0章 いんとろ
21ページ/39ページ


0.5.2


. 〔堅い瓔珞は…〕
最後の連に、

「いちばん強い人たちは願ひによって堕ち次いで人人と一諸に飛騰しますから。」

とあるのは、大乗仏教の思想でしょうか?衆生を救って極楽浄土へ連れてゆくと云うのでしょうか?‥しかし、ほかの考え方もできるように思います。





天(異界)からの墜落ということでは、
まえに挙げた『ペンネンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のほかに、

童話『雁の童子』が挙げられると思います。

ただ、『雁の童子』の場合には、

人間界に落ちて来て、老夫婦にしばらく育てられますが、

やがて古代遺跡の発掘によって前世の秘密が明らかにされると、息を引き取ってしまう──天上へ帰って行く──ところで、この物語は終っています。

「童子」の地上での生活も、馬の親子が引き離されるのを見て泣いたり、魚を食べることを怖がったりと、たいへん‘不適応’です。

「雁の童子」のテーマは、「童子」と「須利耶」という2つの魂が、

つかの間めぐり合っては、前世での互いの縁(えにし)を知ったとたんにまた離ればなれになってしまうという悲哀にあるのだと思います。

それは、切れることのない親子の情とは少し違うものかもしれません。むしろ、分かちがたく結びつけられた深い友情ないし愛情を示しているように思われます。

『雁の童子』は、『銀河鉄道の夜』のジョバンニとは、逆の位相を持っています。

ジョバンニは、物語の最初でも最後でも、地上の人間ですが、引き離されようとする最愛の友を追って、天上界へ旅立つのです。

「童子」は、これと逆に、物語の最初と、最後(物語が終った後?)においては、天上の存在であり、
前世に縁のあった「須利耶」とめぐり合うために、地上に堕ちて来るのです。

このように、宮沢賢治には、

  ○人界と異界の二重存在という観念

  ○異界(または自然界)から人界へ入って行こうとする已みがたい志向

が一貫してあって、

そこから展開するさまざまなバリエーションが、宮沢賢治の作品世界を造っているのではないでしょうか。。。

ところで、さきほどの「雨ニモマケズ」の中に:

「アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ」

という行がありました。

もしかすると、宮澤賢治という人は、どんなことについても、“自分が当事者となること”に対するためらいがあったのではないでしょうか?‥

↑上に続く行は:

「ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ」

つまり、“見者”、そして博覧強記ということです。

そういえば、賢治の詩作品を読んでいると、ふしぎに思うことがあります:

「二疋の大きな白い鳥が
 鋭くかなしく啼きかはしながら
 しめつた朝の日光を飛んでゐる
 それはわたくしのいもうとだ
 死んだわたくしのいもうとだ
 兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる」

これは、第6章収録の作品「白い鳥」の一部ですが、

亡くなった妹の魂が「大きな白い鳥」になってやってきたというのは、いいとして、その鳥は、なぜ「二疋」なのでしょうか?

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ