ゆらぐ蜉蝣文字


第0章 いんとろ
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【5】 転落、または…





0.5.1


長い間、詩を書いていると、自分の書く詩に一定の傾向があることに気づきます…
何年かにわたる自作詩を眺めていると:自分では全く意識していない一貫したテーマがあるのが分かったりします…

つまり、自分では見えなかった隠された自分が見えてくるということがあります。

【初版本】の最初の章は、「春と修羅」:春と修羅・初版本

そこには、「春と修羅」という題名の詩を中心に、19篇の詩が時系列に並べられています。

その排列と内容から飛び込んでくる印象は:

雪に閉ざされた山々からおりて
人間界に戻っていこう、入っていこうとしては
何度も、何度も、はねかえされる……

そういう「もの」がいる……

そして、ついには「おれはひとりの修羅なのだ」とつぶやく「もの」がいる。

ということではないでしょうか?

人間界へ戻っていこう、入っていこうとしては、はねかえされる……

これは、『春と修羅』初版本のみならず、その後の詩作においても、
宮沢賢治の一貫したテーマのひとつとなっているような気がするのです。

それは、個々の詩から直接見える・いわば‘おもてのテーマ’とは別に、
影のように、底流のように一貫してほの見えている深層のテーマです。

宮沢賢治は、厳しい自然の中に立脚点を持っているからこそ、人界へ受け入れられるかどうかが問題になるのだと思います。そうやって自然界に脚を据えられるっていうこと自体が、ぼくら凡人とは違うのかな……と思ったりもしますねw

ところで、人界に入って来ようとすると、そのフチのところで、つまり境界で、さまざまな抵抗に出会うことになります──

人々の抵抗に遭うのではなく、もっと奇妙な障害に出会うのですが…

入って来かたによっては、まったく抵抗のない場合があります:

それは、上から落ちてくる場合──天の上から人間世界に墜落して来る場合です。

↓↓こちらは、初版本と同じ時期に着想されながら、この詩集に収録されなかったスケッチです。
【初版本】に収録された長詩「小岩井農場」と同じ日付を持っています:〔堅い瓔珞は…〕





「瓔珞(ようらく)」は、仏像が身につけている首飾りや胸飾りなどの装身具です。もともとは、インドの貴族が身につけていたものです。

また、「瓔珞」は、仏像や仏壇の上を覆う天蓋や、寺院の破風から吊して、飾り付け(荘厳具)にもします:画像ファイル:瓔珞

ところで、↑↑写真を見て気づくのですが、
吊し飾りの瓔珞は、装身具の瓔珞を、ちょうど逆さまに垂らしたようになっています。

瓔珞を身にまとった仏さまを、天井から逆さ吊りにした様子を想像してみますと、
ちょうど、天蓋から垂れる瓔珞の形になっていることに気づきます。

この詩は、そこから着想したものではないでしょうか?

さて、このスケッチ〔堅い瓔珞は…〕を読んでいきますと、

湖に落ちて「鹹水(かんすい)」を呑んで溺れるというところに、
先ほど引用した中学生時代の短歌が顔を出しています。

「鹹水」とは、アルカリ性のソーダやカリを含んだ苦く辛い水のことです。

ただ、中学生時代の岩手山火口湖での「もののけ」体験とは、異界と人界の垂直位置関係が逆になっています。

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