ゆらぐ蜉蝣文字
□第0章 いんとろ
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0.4.2
「物」とは、「物の怪(もののけ)」、つまり、人間に対立する自然や無生物、道具などに宿るスピリット(精神、魂、精)です。
その関連で言うと、数行前の「デクノボー」も、「木偶(デク)の棒」に通じます★
★(注) 平澤信一『宮沢賢治──《遷移の詩学》』2008,蒼丘書林,pp.26-47、とくに、pp.45-:注(10).
そのつもりで、この詩を最初から読んでみると‥
「慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシヅカニワラッテヰル」とか
「ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ」「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ/小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 」とか…
褒められもしないが、苦にもされないとか…
生きている人間というよりも、
風雨や夏の陽ざしに晒されてびくともしない存在:
村はずれの路傍に見捨てられた石仏や、道祖神を思わせます。
あるいは、人里のへりにひそんで人界の出来事に介入する機会をうかがっているコロボックルか妖精のようです。
手帳の後のほうの頁には、↓次のような詩も書き付けられています:
「くらかけ山の雪
友一人なく
同志一人もなく
たゞわがほのかに
うちのぞみ
かすかな
のぞみを
托するものは
麻を着
けらをまとひ
村人たちの汗にまみれた
村人たちや
全くも見知らぬ人の
その人たちに
たまゆら☆ひらめく」
☆(注) たまゆら:いのち、魂。なお、抹線だけで消されている部分も表示しました。なかでも「同志一人もなく」には重要な意味があるかもしれません。
この詩にも、人界から離れて身を潜め、「見知らぬ人」たちに敬愛の情を送る「物の怪」のような生き方を希んでいる趣があります。
さて、宮沢賢治は生涯にわたって、
われわれの世界の裏側には(あるいは、われわれの目には見えなくとも、われわれの世界に重なって)、化け物の世界がある──
という観念を持っていたようです。
賢治が、この《異界》の存在に気づいたのは、遅くとも思春期のころでした。
1912年4月、盛岡中学校の友人、先輩、そして青柳教諭とともに岩手山に登ったさい、山頂の火口湖のほとりで、つぎのような短歌を詠んでいます:
「石投げなば 雨ふると云ふ うみの面は あまりに青く かなしかりけり」(歌稿A,77番)
「泡つぶやく声こそ かなし いざ逃げん みづうみの碧の 見るにたえねば」(歌稿A,78番)
「うしろより にらむものあり うしろより われらをにらむ青きものあり」(歌稿A,79番)
火口湖に石を投げ込むと雨が降るという言い伝えを、中学生の賢治は、石をぶつけられた火口湖が、あるいは、火口湖に潜む「もの」(物の怪)が、嘆き悲しんで涙を流すと理解していたようです。
じっさいに、同行の誰かが悪戯して石を投げ込んだようです(ほかの作品から推定できます)。湖の「物の怪」は、耐え難いほど悲しい感情を発散してきます。ちょうど、死者の霊が、湖の縁に立っている人間を捉えて引き摺り込もうとするかのように、青い水面を見つめていると、吸いこまれそうになるのです。
そこで、恐怖を感じて、水面に背を向けて逃げようとすると、その《悲しい感情》が後ろから追いかけてくるかのように、何物かがじっと睨んでいるのです:⇒岩手山頂の火口湖
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