ゆらぐ蜉蝣文字


第0章 いんとろ
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【3】 つれ込みの多い料理店





0.3.1


賢治が『心象スケッチ 春と修羅』を自費出版したころ、盛岡市に森佐一という詩人が居ました。

森は、当時まだ中学生で、賢治より10歳ほど年下でしたが、早熟だったのでしょう、同人雑誌を出したり、「北小路幻」というペンネームで呼びかけて、《岩手詩人協会》なる団体を設立したりしていました。

そればかりか、

「新聞に出たり、雑誌に出る土地の大家の詩や歌を、糞味噌にやっつけた文章も、これもいい加減なペン・ネームで発表した。やっつけられた大人たちは、不愉快になって、詩や歌の発表をやめ、作ることをやめた人まで出てきた。」


☆(注) 森荘已池『宮沢賢治の肖像』,1974,津軽書房,p.259.

学校では、『校友会雑誌』の編集を独占し、教員の原稿はいっさい載せず、それまで運動部の活動報告が中心だった雑誌を、文芸一色に塗り替えてしまったり‥w

したい放題していたというか‥元気のいい少年でしたw

賢治の死後ですが、森荘已池というペンネームで小説を書いて、直木賞を受賞しています。

『春と修羅』の出版をきっかけに始まった森佐一と宮沢賢治の交友は、賢治が変人ぶりを100%発揮できる相手を見いだしたせいでしょうかw、‥とてもここには書き尽くせないほどいろいろあって面白いのですが‥:

宮沢が森を岩手山麓に拉致して夜通し引き回した話、‥ふたりで盛岡高等農林の植物園へ“花泥棒”をしに行った話、‥宮沢が森に春画(和製ハードコアポルノ)を山のように持参して見せた話、‥‥

それは、またの機会にして、ここでは、森が、ある日突然宮沢に襲われ『注文の多い料理店』に連れ込まれるまでを、お話したいと思います(^^)w

   *      *

森佐一が、宮沢賢治の作品を最初に見たのは、森が、花巻の友人・梅野啓吉と発行していた同人誌に、賢治が詩を寄稿した時でした。

梅野は、印刷所の息子だったので、自分で工場に入って、編集・活字拾いから印刷まで、すべてやって発行していたのでした。

賢治が寄稿したのは、
. 詩ファイル:陽ざしとかれくさ ←こちらの「陽ざしとかれくさ」という詩なのですが、

「この詩を見て、何だか焦点のはっきりしないモヤモヤしたおかしな詩で、こう思わせるのがいいところなのだと思った。」

と、森はのちに述懐しています☆

☆(注) 森荘已池「『春と修羅』異稿について」,in:天沢退二郎・編『「春と修羅」研究U』,pp.105-106. 同『宮沢賢治の肖像』,pp.352-355.

たしかに、これだけを見せられても、いったい何を書いているんだか?!‥何を言いたいんだか?!‥わけの分からない詩だと思うしかないですねw

まぁ…用語の説明だけでもしておきましょう:

 

チーゼル(teasel):和名は、ラシャカキソウ(羅紗掻草),オニナベナ(鬼なべな)。
マツムシソウ科、高さ1〜2mになる二年草で、ヨーロッパ〜北アフリカ原産。手のひらほどの大きな花穂に、タワシのようなトゲがびっしりと付いています。(↑詩ファイルに写真を付けておきました。)この花穂を乾燥させて機械に取り付け、毛織物や獣毛製品の毛羽立てに利用します。
毛織物工業が盛んだった当時は、日本でも盛んに栽培されていましたが、いまではほとんど見られなくなりました。

パラフヰン(パラフィン):炭素原子の数が20以上のアルカン(鎖式飽和炭化水素 CnH2n+2)の総称。したがって、常温で固体のものと液体のものがあります。石油の分溜で生成します。

固体パラフィン:白っぽい半透明の軟らかい固体。ろうそく、クレヨンなどの原料。

流動パラフィン:粘性のある透明な液体で、ベビーオイル、乳液、クレンジングクリーム、リンス、軟膏などの原料。

ギトンなりに“解読”してみた結果は、こちら⇒
3.13.1〜 陽ざしとかれくさ

しかし、こんな不可解な詩は、作者があえて説明をしなかった以上、いろいろな解釈をされて当然なのですから、みなさんはまた、それぞれの解釈を考えてみればよいのだと思います。

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