ゆらぐ蜉蝣文字


第0章 いんとろ
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0.2.6


この三陸海岸の旅の途上、昨年の旱魃による被害の痕☆を各処で目の当たりに見るにつけ、

高等農林学校の学生時代、関教授によって提起された‘冷害凶作の予知’という命題が、想起されずにはいなかったはずです。

☆(注) 1924年の旱魃は、岩手県内陸部では大きな被害をもたらさなかったようですが、三陸海岸地方では、旱魃と不漁が重なって大きな害となったようです。

だからといって、教職の傍ら、学生時代の延長のような研究をやる…というだけでは足りない気持ちになっていたのでしょう★
もっと性急に、自分のできることを何かしなければ…という思いが、彼の頭の中を駆けめぐっていたかもしれません。

★(注) 前年24年には、3種類の水稲品種を学校の農圃で育て、収穫した米を穀物検査所へ持参して検査官の意見を聞く、という‘実験’もしています。

三陸旅行の最後に書かれた1月9日のスケッチ「峠」(358番)を見ておきたいと思います:

「冷たい風が、
 せはしく西から襲ふので
 白樺はみな、
 ねぢれた枝を東のそらの海の光へ伸ばし
 雪と露岩のけはしい二色の起伏のはてで
 二十世紀の太平洋が、
 青くなまめきけむってゐる
 黒い岬のこっちには
 釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド
    ……そこでは叔父のこどもらが
      みなすくすくと育ってゐた……
 あたらしい風が翔ければ
 白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす」
(下書稿手入れ)

1月6日のスケッチでは「万葉風」と呼んでいた太平洋の海を、「二十世紀の」と呼んでいることに注目したいと思います。

新しい世代が「すくすくと育」つ港町の海は、宝石のように輝いています。






海岸向きの強風で押し曲げられた白樺の枝も、おどろおどろしい姿としてではなく、
「二十世紀の太平洋」に向かって親しげになびき、鋼鈴のような葉をこすり合わせてりんりんと鳴らしています。

冬の厳しい自然を描きながら、そこには《未来の希望》が見出だされているのです。

この2か月前、1924年10月に書かれた「産業組合青年会」では、作者は農村の未来に対して、まったく絶望的な見通しを語っていました:

「村ごと小さな組合は、
 ハムを酵母を紡ぎをつくり
 その聯合のあるものは
 山地の稜をひととこ砕き
 石灰抹の億噸を得て
 こゝらの酸えた野原にそそぎ
 さういふ風の図式をおもふ
 それとてまさしくできてののちは
 あらたなわびしい図式なばかり」
(313番「産業組合青年会」下書稿(1)第1形態)

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