宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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鼬幣稲荷神社、花巻市           


 ところで、ここまで具体的に書かれると、賢治ファンには、この場所がどこだかわかってしまうのです。


「友の家が神社であることが第4連で示され、友のモデルは鼬幣神社の社司の子阿部孝と思い浮かべられる。」

「『秋のあぎと』考」,in:『小沢俊郎宮沢賢治論集3』,p.35.


 阿部孝氏は、宮沢賢治の盛岡中学校の同級生で、東京帝大英文科へ進学し、戦後は高知大学の学長になっています。阿部孝氏の実家である鼬幣(いたちっぺい)神社は、花巻農学校(現・ぎんどろ公園)のある高台のすぐ下にあり、現在でも地元の尊崇を集めている由緒ある郷社です。

 賢治は、高等農林卒業後、阿部氏とは、花巻でも東京でも何度か会っています。賢治が、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』を読んで詩作を始めるきっかけをつかんだのは、東京で阿部氏の下宿を訪問した時でした。⇒:トキーオ(10)

 賢治は、1919年5月ころに、花巻に帰省した阿部氏と会っていますが、この年の秋に会った形跡はないのです。したがって、この詩作品は、何らかの意味でフィクションだと考えなくてはならないでしょう。ほかの機会に会ったのを、1919年秋に設定したか‥、阿部氏以外の友人との体験を阿部氏に振り替えたか‥

 しかし、かりに、「思い 破れ」て帰って来た「な(汝)」を作者が訪問したという設定じたいが、フィクションだったとしても、「な(汝)」は、阿部孝氏以外ではありえません。神社の「杉むら」「鳥」「水の音」などの状況が鼬幣神社だからです。〔下書稿(一)〕にあった「シグナル」の「赤き灯」は、鼬幣神社の前を走っている花巻電鉄でしょう。

 それほど、この詩は(この段階では)特定の場所と人に結びついています。



「   失 意

 おほいなる秋のあぎとは
 ほのじろく林をめぐり
 頬青くまなこひかりて
 なれのたゞつめたくわらふ

 ながちゝはゆふべののりと
 ももどりのかへりすだくや
 ながはははことなきさまに
 しらたまのもちひをなせる」

〔下書稿(三)手入れ〕


 「ももどり(百鳥)」:いろいろの鳥。
 「すだく」:鳥や虫が集まって盛んに鳴くこと。

 題名が「失意」に替わり、友人の「失意」の状況、その表情に焦点があてられます。それと同時に、「秋のあぎと」がふたたび前面に出てきて、形式の上でも最初の行に置かれます。ここでようやく、短歌の時以来気になっていた「秋のあぎと」の不気味さと、ぼんやりした「ほのじろ」いイメージとの不調和が解消されます。

 〔下書稿(二)〕とは一転して、特定の場所と人にかかわる描写が大きく削られています。それでもなお、「なれ(汝れ)」という2人称語が残っていて、作者との特別の関係、作者の《体験》の一回性を伝えています。

 友人の苦境に対する作者の思いを表現する語句は、すべて削除され、作者と「なれ(汝れ)」とのつながりは、少なくとも表面には出なくなりました。

 この〔下書稿(三)〕の形で印象的なのは、第1連と第2連の対照です。第1連では、暗い表情の友人を中央に置いて、町を取り囲む世界の不気味さが強調されています。

 ところが、第2連の両親(社司とその妻)は、周囲から襲いかかろうとするような不気味なものに何ら左右されることなく、ほとんど端正なたたずまいを見せています。賢治流のコトバで言えば、“すきとおった”姿の抵抗と言うのでしょうか。

 両親のこのような平生な態度の“意味”は明らかではありませんが、たいへん強い印象を与えます。ことがらの具体的な連関は示されないまま、絵画的な(映画的な?)印象だけが強く迫ってくる作品になっています。

 コトバで説明するのが難しいのですが‥、この段階になると、具体的な連関を離れて、一般的・普遍的なものを表出しようとする傾向が見えています。
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