宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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 しかし、どうしてここで、水が「まろぶ」という表現が出てくるのか、よくわからないまま、そういえば、〔下書稿(一)〕以来、雪融け水の「さゞめき」「さゞめきて」という表現が何度も出ていたことに気がつきます。

 「さざめく」を辞書で引くと、「ざわざわと音をたてる。大勢の人が、にぎやかに音や声を立てて騒ぐ。ざわめく。」などとあります。

 「さざめき」の音は、「ささめき」「ささやき」に通じますが、たくさんの人、ないし生き物のささやきが輻輳して、「ざわめき」になるのでしょう。そこから、宮沢賢治ということで考えると、‥もしかして「青びとのながれ」ではないか?‥ということが思い当たります:


「私の世界に黒い河が速にながれ、沢山の死人と青い生きた人とがながれを下って行きまする。青人は長い手を出して烈しくもがきますがながれて行きます。青人は長い長い手をのばし前に流れる人の足をつかみました。また髪の毛をつかみその人を溺らして自分は前に進みました。

 あるものは怒りに身をむしり早やそのなかばを食ひました。溺れるものの怒りは黒い鉄の瓦斯となりその横を泳ぎ行くものをつゝみます。流れる人が私かどうかはまだよくわかりませんがとにかくそのとほりに感じます。」

宮沢賢治書簡[89](1918年10月1日付)保阪嘉内宛て より。


 この文語詩に表現されているもの、あるいは表現しようとしたものが、雪融け水にざわめく「青びとのながれ」だったかどうかは、まだ“もしかしたら”の段階です。純粋に読んだ感覚としても、私はまだ確信がもてません。

 しかし、この場所“一本木野”は、たしかにエゾの歴史が残っている風土と言えます。エゾの首領の一人が、朝廷軍に追われてきて、ここで殺害されたという伝説もあります。原野の草の根のあいだには、おおぜいのエゾのむくろが斃れ、朽ち果てて行った場所なのです。

 また、ここの広大な原野と広い空は、宮沢賢治に、はるかな時代への懐旧の念をよびおこしたようです。サハリンの平原を旅しながら、この大更、好摩の原野を思い出し、先住民とともに太古から土地に住まう精霊に、思いをはせています:


「(こんどは風が
  みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
  うしろの遠い山の下からは
  好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
  すきとほつた大きなせきばらひがする
  これはサガレンの古くからの誰かだ)」

『春と修羅』「鈴谷平原」より。



 


 ともかく、この詩に仏教語彙はありませんし、人事、恋愛、社会などがテーマとも思えません。ここから《本質》を透視するとしたら、そういう土着的な伝説・信仰の方向が考えられるのです。

 晩年の賢治の《本質直観》は、しばしば、原始信仰の方向に向かったようです。遠野などの郷土の民話・伝説に関心を示していますし、アイヌへの関心も、作品に現れています。

 ‘書かれた’世界、‘見える’世界の、もうひとつ奥にあるものを伝えたいという思いは、『春と修羅』の当初から、作者の念頭にありました。賢治自身の言葉で言えば、それは、


「ひとつの古風な信仰です。」
(「くらかけの雪」)


 もちろん、賢治が何とかして表現したいと目指したものは、土着的な原初的心性、民俗的な世界につながる心性だけではなかったと思います。

 いずれにしろ、そうした‘背後にあるもの’を透視するまなざしは、‘生きられた一回限りの現象’を通して‘本質を観取’するまなざし、‘理念的な世界’を、《いきいきとした現在》の世界として発見するまなざしだったのだと思います。
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