宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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 注目したいのは、「たゞいちめんに鳴りわたる/雪げの水のさゞめきて/まなじのかぎり雪げ水/うちさゞめきて奔るなれ」と、ほとんど同じような表現が繰り返されている雪融け水の描写です。作者は、ぜひとも読者に伝えたいような、大きな声で叫びたくなるような、圧倒的な感動を得たので、こういう表現をするのだと思いますが、残念ながらこういう繰り返し表現では、感動は伝わりません。ただ「すごい!すごい!」と繰り返しても、現場を見ていない者には、何がすごいのかわからないのと同じです。

 じつは、宮沢賢治の草稿や作品では、たまにこういうことがあります。弘法も筆の誤りと言うべきでしょうか。例えば、公刊された「小岩井農場・パート3」にも、この種の“反復表現”があります⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》3.4.3 これらは、詩としては失敗なのだと思います。

 しかし、うまく伝わって来ないとしても、伝えたい感動を賢治が得ていたことは、まちがえありません。それが、どんなことだったのか、私たちは気になります。



「遠く枯草かゞやきて
 春べと見えしこの原は
 泉とまがふ雪げ水
 たゞさゞめきて奔るなり

 山には青き山けむり
 天はひそまる瑠璃の椀
 白樺たてるこの原の
 あやしき沼をなせりけり」

『文語詩稿一百篇』より〔下書稿(三)〕


 推敲によって、“くり返し”の部分は無くなりましたが、“くり返し”を書いてでも伝えたかったことが、何だったのかは、依然として謎です。

 新たに加えられた表現は、「泉とまがふ雪げ水」「天はひそまる瑠璃の椀」「あやしき沼をなせりけり」。雪融け水の激流のようなイメージは、かえって薄らいでしまっていますが、「泉」と表現されることによって、ただ野原の表面を走り過ぎてゆくだけだった水の流れに、何か異質なものが付け加わっています。その新たなイメージを、沈黙するそらの「瑠璃の椀」が、強めています。

 「泉」は、単なる地表流とは異なって、地底から湧きだしてくるものです。それは、見えない地下の世界の存在を予想させます。そして、「泉」と「瑠璃の椀」によって誘発された・いわば“世界の奥”への視線は、最終行の「あやしき沼」に集中します。

 こうして、〔下書稿(三)〕では、奔流のイメージからは離れてしまいましたが、奔流によって作者が伝えようとしていたことが、どんなことだったのか、少しずつですが、ほのめかされてきたと言えます。



 


「遠く琥珀のいろなして、    春べと見えしこの原は、
 枯草
(くさ)をひたして雪げ水、 さゞめきしげく奔るなり。

 峯には青き雪けむり、     裾は柏の赤ばやし、
 雪げの水はきらめきて、    たゞひたすらにまろぶなり。」

『文語詩稿一百篇』より〔定稿〕


 「峯」は岩手山でしょうか。

 遠めに見た原野の風景は、「琥珀のいろ」となっています。遠くから想像した柔かい枯れ草のイメージは消え、「琥珀」という、ちょっと謎めいて神秘的な宝石に替わっています。
 
 第2連は、「青き雪けむり」「柏の赤ばやし」「雪げの水はきらめきて」と、ピトレスクな絵画的イメージでまとめられました。

 作者が“ほんとうに”伝えたいと意図していることは、やはりわかりやすくありません。

 流れる水が、「たゞひたすらにまろぶなり」という、奇妙な言い方が目につきます。「まろぶ(転ぶ)」は、「ころがる;ころぶ」という意味。犬などが転がりながら走るかんじでしょう。宮沢賢治の用例は、↓こんなのがあります。


「暮れ惑ふ 雪にまろべる犬にさへ
 狐の気ありかなしき山ぞ。


 雑木みな
 髪のごとくに暮れたるを
 黄の犬ありて
 雪にまろべる」

『歌稿B』#29, 29a30. [1912-1913年]
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