宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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 また、「秋のあぎと」草稿群の検討で顕著に思われたことは、のちの下書稿になるほど、詩形は短く刈り込まれてゆくだけでなく、短い詩形の中に、より濃密な内容が盛り込まれるようになることです。

 原《体験》によって書き下ろされたテキストに安住することなく、たゆみなく《追体験》されたさまざまな局面のなかから、より深く、より直截に《本質》を深く見透す局面が選びぬかれ、文語詩の短い詩形の中に盛り込まれるのです。

 すなわち、@一回限りの《体験》の生々しさの保持 ということと並んで、A“凝集化”ということが、賢治詩の推敲過程の特質として見逃せません。

 賢治自身、晩年は意識的に“凝集化”を行なっていたことが、1931年以降に書かれた↓つぎのメモからわかります:



「┌第三詩集 手法の革命を要す
 │殊に凝集化 強く 鋭く
 │  行をあけ
 │
 感想手記 叫び、
  心象スケッチに非ず

  排すべきもの 比喩、」

「詩法メモ1」,in:『新校本宮澤賢治全集』,第4巻校異篇,pp.10-11.



 「感想手記 叫び、/心象スケッチに非ず」の部分の意味は、いろいろにとれます。入沢康夫氏によれば、3とおりの読み方が可能で、「表面的な文脈からは、この3つの読み方は、そのどれも同じように成り立ちそうに見える」(入沢康夫「賢治と心象スケッチ―――一つの随想として」,in:ders.『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』,pp.316-317.)


 @ 「第三詩集」は、感想手記、叫びを内容とするものであるべきで、心象スケッチであるべきではない。

 A 「第三詩集」は、感想手記でも、叫びでも、心象スケッチでもない。

 B 感想手記や叫びは心象スケッチではない。「第三詩集」では、この点に留意すべきである。


 このメモの時期から言うと、「第三詩集」は、『春と修羅・第3集』か文語詩篇を指していると見るのが妥当なところでしょう(メモの内容から言うと、文語詩篇プロパーと考えた方が妥当です)。しかし、それらを宮沢賢治は「心象スケッチ」ではないと考えていたのか、それらも「心象スケッチ」だと考えていたのか?‥決めがたいですが、@ABのどの読み方を採るかということと、複雑にからんできます。





 私は、天沢退二郎氏、田中末男氏(『宮沢賢治 〈心象〉の現象学,pp.162f.)とともに Bの読み方を採り、かつ、賢治は「第三詩集」も「心象スケッチ」として書いたと考えます。

 すなわち、『春と修羅・第3集』の編集と推敲、さらに一部作品の(大部分について予定?)文語詩への改稿にあたって、宮沢賢治は、なまなましい現場の刻印を帯びた「心象スケッチ」という従前の詩作方法を堅持するとともに、《本質看取》の方向を明確に意識し、そのためには、形式面の「手法」としても、「凝集化」し、「強く 鋭く」し、「行をあけ」ることに努めようと考えた。なぜなら、だらだらとした「感想手記」や主情的な「叫び」は、「心象スケッチ」ではないからである、と。

 このような方針を立てて行われた晩年の推敲においては、いわば《体験》を単に「スケッチ」する、写し取るというだけでは足りないと考えられ、

 スケッチされるべき「心象」の、さらに奥にあるもの、目には見えないけれども確実に在ると感じられる世界を表現することに、力が注がれたのだと思います。
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