宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ
□第4章 “こころ”と世界
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入沢氏の指摘をまとめますと、‥宮沢賢治の「スケッチ」は、そのじっさいの場で彼がやっていることを見ると、
@ 現場性
A 何度も推敲する
という2つの特徴がきわだっている、ということだと思います。
この2つの特徴のうち、Aの“反復される推敲”が作品にどんな効果をもたらすかということについては、第5章で検討することとしまして、
この節では、@の「現場性」を中心に見ていきたいと思います。
ここでとりあげるのは、『春と修羅』のなかでも、とくに「現場性」の刻印を強く保持していると言われる長詩「小岩井農場」です。その中でも、「スケッチ」として比較的単純な構造をもつ「パート4」前半の部分を、以下で見たいと思います。
小岩井農場本部(当時の建物が現存している)
「本部の気取つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
さつきの光沢(つや)消しの立派の馬車は
いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。
五月の黒いオーヴアコートも
どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
(から松はとびいろのすてきな脚です
向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)」
(「小岩井農場・パート4」)
この部分の下書稿を見ると、「本部」――小岩井農場本部――のそばには、4か月ほど前に作者が訪れた時までは、「観測台」があって、気象台から委託された気象観測(気温、湿度、風力、風向など)を行なっていたのですが、現在――この「スケッチ」の現在時である 1922年5月には、すでに撤去されています。
「本部の気取つた建物が/桜やポプラのこつちに立ち」は、現在時の眼前の風景ですが、
今は何も載っていない「そのさびしい観測台のうへに/ロビンソン風力計の小さな椀や/ぐらぐらゆれる風信器」が頼りなげに動いていたのは、この年1月の“過去”から想起された映像です。
「心象」世界は、いま見えているだけの薄っぺらい“像”ではなくて、背後に織りこまれた過去の世界が、見え隠れしています。
1時間ほど前に、小岩井駅付近で作者を追い越して行った馬車は(「パート1」)、いまは視界のなかになく、「いまごろどこかで忘れ[られ]たやうにとまつて」いるのですが、本部の建物の裏か、林の陰へ行ってみれば見ることができるはずです。それは、現在時の視野の外の世界であり、作者の想像力を透して、「心象」世界の一部となっています。
「五月の黒いオーヴアコート」も、この農場へ歩いて来る道の途中で、作者が見かけた人物で(「パート2」)、いまは姿が見えません。農場へ用事があって来た人と思われるので、「本部」の近くの「どの建物かにまがつて行つた」はずです。これも、作者の想像力によって「心象」の一部になっています。
これらの・目には見えていない「観測台」の上で機器が動いていた風景や、「黒いオーヴアコート」の人物は、作者の“気がかり”が向けられていることによって作者の意識と結びつき、作者の「心象」世界に繰りこまれていると言えます。
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