宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
3ページ/25ページ

.

 むしろ、草野心平の↓つぎの説明のほうが、私たちには、賢治の詩作の実際に近いとは思われないでしょうか?


「古来詩人の名誉の一つは対象にいのちを与える最後の言葉を最初に発見することであろう。
〔…〕それは感性と叡智との共同作業によつてのみ成し遂げられる。そのような行き方で宮澤賢治は数多くの言葉を発見した。彼の発見は一見奇異にも見えるのであるが、彼にとつては彼を透しての実写であつたに過ぎない。彼の言葉で言うならば一つの『心象スケッチ』であつたに過ぎない。〔…〕

 『もうほめるひまなどない』
〔『春と修羅』「真空溶媒」第195行に「もうおそい ほめるひまなどない」とある。―――ギトン注〕〔…〕この言葉は宮澤賢治の自然との交渉を実に微妙に言い現わしている。

 山野を歩いていた彼の前でほめている暇がない程、自然は刻々に変貌してゆく。雲が動く、鳥がとぶ。草はゆれる。ほめるひまがない程変り、みんな書きたいほど美しい自然の中にはいる時、彼は度々、在来の言葉では間にあわない、またそれらの直喩では不誠実な結果になる対象にぶつかつた。
〔…〕見る眼にそれらが斬新な姿でおののくのである。対象のすべてがこの本然をむき出しにして肉迫するのである。これは鋭い感性の、そしてそれのみが受ける襲撃だろう。」
草野心平「『春と修羅』に於ける雲」(1939年), in:天沢退二郎・編『「春と修羅」研究T』,1975,学芸書林,p.47.



 草野心平が、「感性と叡智との共同作業によつてのみ成し遂げられる。」と書いているのは、賢治の詩の《方法》を正確に読み取っていたものと言えます。それは決して、おのずから湧き出た“心象”をそのまま言葉にする、というようなものではなかったのです。詩作の現場では、「叡智」すなわち理知的な思考も、重要な役割をしていました。

 そして、「心象スケッチ」の意味についても、草野は他の論者とは異なって、“こころ”の中を描くことだとは言いません。「山野を歩」く賢治の前で、「ほめている暇がない程」「刻々に変貌してゆく」自然―――「在来の言葉では間にあわない」周囲世界の驚異を、独特の言葉を「発見」して「実写」することであったと述べています。(この・独特の言葉を「発見」するために、「叡智」が必要になります)

 草野心平によれば、「心象」とは、“こころ”の中ではなく、周囲世界にほかなりません。「心象」とは、賢治の「鋭い感性」に対して「本然をむき出しにして肉迫」してくる周囲世界にほかならない。そして、「心象スケッチ」とは、そのような周囲世界を、「彼を透して」「実写」することであったのです。


 草野が看破した宮沢賢治の詩作《方法》とは、私たちが身に着けている日常の“概念”の鎧を脱ぎ捨てて、“裸身”で自然の中に飛び込み、躍動する周囲世界の「襲撃」に身を曝すこと、そうして露わになった世界の「本然」のすがたを、人間の日常の概念語を超えた新しい言葉で表現することでした。


「感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
 それをがいねん化することは
 きちがひにならないための
 生物体の一つの自衛作用だけれども
 いつでもまもつてばかりゐてはいけない」

『春と修羅』「青森挽歌」より。


「詩は裸身にて理論の至り得ぬ
         堺を探り来る
    そのこと決死のわざなり」

宮沢賢治『詩法メモ』4 より。


 草野の上記の論述は、さきに私たちが、フッサール《現象学》や、中原中也の洞察をよすがにしてさぐってきた宮沢賢治の《方法》の内奥を、なまなましい実作者のコトバで表現したものと言えるのではないでしょうか?

 草野心平の宮沢賢治論は賢治生前からのもので、“もっとも古い宮沢賢治論”かもしれませんが、読んでみると新しい発見が少なくないことに驚かされます。…これは再発掘の必要な鉱脈のひとつではないでしょうか?




.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ