宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
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 しかし、『第1集』(『心象スケッチ 春と修羅』)の段階では、“異世界”のつぶやきは、まだそれほど深刻には受けとめられていなかったようです。この段階では、科学と“自然”(異世界)とのせめぎあいは、いわば美的に処理されていたようです。詩的想像力によって“異世界”を想定し描くことによって、葛藤はとりあえず解決されていたのだと思います。

 『第1集』の作品「春と修羅」には、「二重の風景」という表現が現れています:


「陥りくらむ天の椀から
 黒い木の群落が延び
   その枝はかなしくしげり
  すべて二重の風景を」


 と歌われた「二重の風景」とは、「天の椀」から逆さまに伸びて来る“異世界”が、目に見える正立の日常世界と、重なって存在しているという認識を表しています。

 このような“異世界”は、幼少期以来の賢治の観念のなかでは、土俗的な信仰・迷信と結びついていたはずです。したがって、死者の世界、死後の世界、すなわち“他界”と、なんとなくつながって理解されていたはずです。しかし、その関係は、はっきりと意識されていたわけではありませんでした。

 自然とのせめぎあいの《体験》から感じ取られた脅威的な“異世界”と、“他界”との関係は、『春と修羅』の詩作を開始したころの賢治にとって、まだ分明ではなかったと思われるのです。

 “異世界”と“他界”との関係―――という問題が、大きく前面に現れてきたのは、妹トシの早すぎる死という、想定外の事件をきっかけにしてだったと考えられます:


「そこに水いろによこたはり
 一列生徒らがやすんでゐる
     
〔…〕

 月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
 かしははせなかをくろくかがめる
 柳沢の杉はなつかしくコロイドよりも
 ぼうずの沼森のむかふには
 騎兵聯隊の灯も澱んでゐる

 《ああおらはあど死んでもい》
 《おらも死んでもい》

   (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か
    さうでなければ小田島国友

       向ふの柏木立のうしろの闇が
       きらきらつといま顫えたのは
       Egmont Overture にちがひない

    たれがそんなことを云つたかは
    わたくしはむしろかんがへないでいい)
     
〔…〕

 とし子とし子
 野原へ来れば
 また風の中に立てば
 きつとおまへをおもひだす
 おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
 鋼青壮麗のそらのむかふ

  (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
   光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
     
〔…〕
『春と修羅』「風林」より。



 
    柳沢付近から見た沼森(写真奥)    



 トシが亡くなって6か月後、生徒たちを連れて岩手山に登る途中、柳沢付近のかしわ林のなかで休んでいるところです。時刻は夜半過ぎ。当時、岩手山に登る最も一般的なルートは、柳沢からまっすぐに山頂火口(東岩手火山)へ向かう表参道でしたが、夕方に麓の滝沢駅を出発して、山頂で御来光(日の出)を拝む日程が好まれました。

 「柳沢の杉」は、柳沢集落にある岩手山神社・本殿です。

 谷を隔てて、「ぼうずの沼森」が見えています。

 疲れきった生徒たちの


「《ああおらはあど死んでもい》
 《おらも死んでもい》」


 という何気ない会話が、賢治の“他界”への思いをかきたてます。そばにいる生徒ではなく、なにか、かしわ林のなかにひそむ死者の霊魂か精霊のようなもののささやきに聞こえてしまうのです。
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