宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
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「沼森を始めてみた賢治はすっかり落胆してしまいました。沼森付近はクリやコナラその他の落葉樹林に被われていると思ってきたのに、なんと沼森の南半分が禿山だったからです。

 賢治は沼森を哀れんで
〔…〕物が言えない沼森の悲しみを、わがことのように受け止めていたのです。」
伊藤光弥『森からの手紙』,2004,洋々社,p.33.


 伊藤光弥さんの解説↑は、かなり合理化した解釈だと思います。賢治が短歌と散文に書いているのは、もっと原初の、感受した“そのまま”の《心象》です。「坊主になった」理由、「さびしい」理由、「にらむ」理由などを考え始めると、賢治のナマの《体験》からは離れてしまうことになります。


 ところで、盛岡中学在学中 1910年9月の岩手山登山を回想して詠んだ短歌にも、↓こういうものがあります:


「石投げなば雨ふるといふうみの面はあまりに青くかなしかりけり。

      ※

 泡つぶやく声こそかなしいざ逃げんみづうみの青の見るにたえねば。

      ※

 うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり。」

『歌稿B』#77-79.




御釜湖


 これらの短歌の「うみの面
〔おも〕」「みづうみ」「うしろよりにらむもの」は、岩手山のカルデラ内にある“御釜(おかま)”という火口湖ですが、こちらの場合は、人間の迫害に憤っているというような“説明”は、そもそもできません。火口湖の水面が、最初から薄気味悪い「青き」悲しみを湛えていて、人間の感情を寄せ付けない敵意を持っているのです。


 すなわち、宮沢賢治の自然へのアプローチは、“理論”以前の《心象体験》によっているのです。人間の開発利用やら、科学的な考察やら、自然保護やら‥、そういう人間の理念の働きを向けること自体に対する底意地の悪い抵抗を、感じ取っているのだと思います。

 人間の力が及ばない活火山の圧倒的な力、自然の底暗い“意志”に対して、賢治は、「これも岩頸だ」とか、石英安山岩だ、とか、科学のメスで刻んで行こうとするのですが(科学的調査は開発利用のためです)、“自然”の抵抗のしかたは、直接感情に訴えて来るやりかたです。

 「えいぞっとする 気味の悪いやつだ。」「あまりに青くかなし」い。「見るにたえ」ない。―――みな、“自然”の抵抗によって作者に惹き起こされた気分なのです。

 こうして、山々や自然物のすがたは、しばしば自らの意志をもったもののように感じられるだけでなく、それらの背後に、私たちの日常の目に映る世界とは異なる異形の世界、いわば“異世界”があると感じられることもあったと思われます。

 ↓この作品などは、科学によって自然の力を征服しようとの意気に燃えた農民たちの会合に出席していた賢治の耳に、そうした“異世界”からの抵抗のつぶやきが聞こえてきてしまう恐怖を述べています:


「祀られざるも神には神の身土があると
 あざけるやうなうつろな声で
 さう云ったのはいったい誰だ 艸をゆすったそれは誰だ
     
〔…〕

 部落部落の小組合が
 ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
 その聯合の大きなものが
 山地の肩をひととこ砕いて
 石灰岩末の幾千車を
 酸えた野原にそゝいだり
 ゴムから靴を鋳たりもする
     
〔…〕

 これら村々の気鋭な同志会合の夜半
 祀られざるも神には神の身土があると
 老いて呟くそれは誰だ」

『春と修羅・第2集』#313「産業組合青年会」1924.10.5〔定稿〕
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