宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
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「貞享四年のちいさな噴火から
 およそ二百三十五年のあひだに
 空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
〔ガス〕
 これら清洌な試薬によつて
 どれくらゐの風化が行はれ
 どんな植物が生えたかを
 見やうとして私の来たのに対し
 それは恐ろしい二種の苔で答へた
 その白つぽい厚いすぎごけの
 表面がかさかさに乾いてゐるので
 わたくしはまた麺麭
〔パン〕ともかんがへ
 ちやうどひるの食事をもたないとこから
 ひじやうな饗応ともかんずるのだが」

『春と修羅』「鎔岩流」より。


 「表面がかさかさに乾い」た「すぎごけ」の凄まじいようすへの驚きが、「恐ろしい二種の苔で答へた」と表現されています。

 ここで「白つぽい厚いすぎごけ」と書かれているのは、じつはコケではなく地衣類のようです。白色で乾燥しているのは地衣類の性質であり、とくべつなことではありません。むしろ、コケも生えない、地衣類以外は生存できないことが、ここの環境の厳しさです。

 賢治は地衣類を知らなかったのでしょうか?

 また、もうひとつの疑問として、宮沢賢治は、ここ“焼走り”を、これまでに何度も訪れているのに、いまさらなぜ驚いているのか?


 おそらく、“一本木野”草原のヒューマン・フレンドリーな自然に酔うあまり、「空気のなかの酸素や炭酸ガス/これら清洌な試薬によ」る風化作用を過大に考えていたのです。賢治には、そのことに対する反省があるのだと思います。“飼いならされていない自然”との出会いの衝撃が、「ごく強力な鬼神たちの棲みか」という“体験像”を映し出しているのです。

 “自然との出会い”とは、主観的な体験であり、その場所に来るだけで当然に“出会い”を体験するというものではないでしょう。これまで何度か“焼走り”を訪れた時は、いつも連れの人たちがいて、楽しさで気がまぎれていたので、“自然”に直面する体験が回避されていたかもしれません。


 どんな対象も、“はじめて見た”ように驚きをもって感受し、その驚きのままに表現する―――ということが、「心象スケッチ」の要諦でした。

 たしかに対象が地衣類であっても、それを“地衣類”として見ることは、概念であり理論であり、いわば先入見です。 そこで、そのような先入見を取り去り、また、これまでにここに来た時の印象も括弧に入れて、虚心に、この“焼走り”の岩々を見た時、「表面がかさかさに乾い」た「白つぽい厚いすぎごけ」というのが、その虚心な眼に映った“自然の力”の表現として、もっともふさわしいと思われたのでしょう。

 賢治は、それが地衣類であってコケではないことを知っていて、あえて「表面がかさかさに乾い」た「すぎごけ」と書いているのかもしれません。


 それと、宮沢賢治は、自然の場所に対して―――はじめての場所でなくとも―――、訪れた当初はしばしば薄気味悪いものを感じたかもしれません。親しみのある対象を見出すと、はじめは「フン」と言って反発したりしています:

「もう入口だ小岩井農場

  (いつものとほりだ)
     
〔…〕

 禁猟区 ふん いつものとほりだ。」

『春と修羅』「小岩井農場・パート3」より。

 ‥思いつく例は、ほかにもありますが、そのような性癖が、“はじめて見た”ような驚きをもって対象を感受する彼の感性と、つながっていることはあきらかです。

 しかし、少しするとその場所に慣れて、“自分の場所”だという安心感を得ていたようです。


 そこで、“焼走り”の「恐ろしい二種の苔」のノエマも、しばらくすると容易に覆されて、食べ物のノエマに変換してしまいます。それとともに、驚愕の感情も去って、憩いの気分になります。薄気味悪い「鬼神たちのすみか」は、おなじみの場所となり:「わたくしはまたパンともかんがへ‥ひじやうな饗応ともかんずるのだが」‥となります。




「うるうるしながら苹果
〔りんご〕に噛みつけば
 雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
 野はらの白樺の葉は紅
(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ
 北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
   (あれがぼくのしやつだ
    青いリンネルの農民シヤツだ)」

『春と修羅』「鎔岩流」より。


 “自分の場所”だという安心感を得ると、岩手山の斜面を下ろしてくる冷たい強風に身をさらすことさえ、平気になってしまうようです。

 遠く望む北上山地を「ぼくのしやつだ」と感じるのも、まわりの世界を“自分の場所”として、居心地よい郷土として認識しているからだと思います。
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