宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
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岩手山(柳沢付近から)      


「天椀
(てんわん)の孔雀石にひそまり
 薬師岱赭
(やくしたいしや)のきびしくするどいもりあがり
 火口の雪は皺ごと刻み
 くらかけのびんかんな稜
〔かど〕
 青ぞらに星雲をあげる」

『春と修羅』「一本木野」より。


 電信柱の列と対比されるのは、やや遠くそびえる岩手山によって代表される、人を超越する本来の自然です。「天椀」「雪は皺ごと刻み」、鞍掛山の「びんかんな稜」が「青ぞらに星雲をあげる」‥‥ここには、現象学的な生々しい《体験》、自然力との出会いの表現が見られます。

 「孔雀石」、「岱赭」(赤色酸化鉄。ベンガラに同じ)という鉱物用語も現れています。

 やがて作者は、“一本木野”を横切って、“焼走り熔岩流”に到達します:


「喪神のしろいかがみが
 薬師火口のいただきにかかり
 日かげになつた火山礫堆
(れきたい)の中腹から
 畏るべくかなしむべき砕塊熔岩
(ブロツクレーバ)の黒
     
〔…〕

 けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
 ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
 一ぴきの鳥さへも見えない
 わたくしがあぶなくその一一の岩塊
(ブロツク)をふみ
 すこしの小高いところにのぼり
 さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
 雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
 雲はあらはれてつぎからつぎと消え
 いちいちの火山塊
(ブロツク)の黒いかげ」
『春と修羅』「鎔岩流」より。


 岩手山の“焼走り”とは、江戸時代の噴火で山腹に広がって固まった熔岩が、現在もほとんどそのままの状態で見られる場所です。

 ここに来て、作者の眼に映る自然の超越性は、頂点に達したと言えます。

 「喪神のしろいかがみ」とは、中天にかかった太陽です。

 「火山礫堆」「砕塊熔岩」「火山塊」―――これらの用語は、それぞれの物の生成してきた起源を指示しています。作者の地学的関心、火山学の知識が、自然《体験》のなまなましさを高めるために動員されていると言えます。賢治詩にとって科学知識は、科学的な自然探究の手段ではなく、「心象」としての自然を《体験》する手法のひとつなのです。

 つまり、作者の叙景の目標は、科学的考察ではなく、想像力による《体験》の深化にあります。「ここは空気も深い淵になつてゐて/ごく強力な鬼神たちの棲みかだ」―――とあって、童話『狼森と笊森、盗森』のような土俗的な信仰世界、いわば原初の息吹を伝える“異世界”が、“自然力との出会い”によって現出しています。
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