宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第3章 “もの”と名前
6ページ/11ページ

.

 当時、《フッサール現象学》以前の哲学や心理学での一般的な図式としては、実在の事物が、人間の感覚器官(目や耳)によって捉えられて、心の中に“表象”される──と考えられていました:


 外界に実在する対象(実体、“本体”)
  ↑
  対応している
  ↓
 心の中の表象(“現象”、仮象)


 この「実在する対象」を、われわれがふだん目にする事物(杏のカクテルや、戸口の柱)だと考えれば、これはごく常識的なものの見方(フッサールの言う《自然的態度》)になります。
(門脇俊介『フッサール ──心は世界にどうつながっているのか』,シリーズ・哲学のエッセンス,NHK出版,2004,pp.11-15,21-25; 谷徹『これが現象学だ』,pp.44-62,97-103.)

 しかし、私たちの日常世界には、私たちの使い古されたコトバが充満しています。聞きかじった科学理論の断片や、宗教家のお説教、政治家の口から出た不完全なイデオロギーが、私たちの見方に影を落としています。

 フッサールは哲学者として、私たちの日常世界に対する意識、認識を、根本から洗いなおして調べる必要があると考えました。それには、私たちの眼と世界とのあいだにあるさまざまな“理論”の色眼鏡を、いったんすべて外してみなければなりません。私たちの頭脳は最終的にはコトバによって世界を認識していますから、すべてを根本から洗いなおすためには、使い古されたコトバによる認識のしくみを、科学的なものも宗教的なものもいったん停止し、私たちの認識のコトバが生みだされてくる根本に立ち戻って、調べなおす必要があります。

 それが、フッサールの言う《現象学的還元》(超越論的還元)なのです。



 
1918年、ミュンヘン    



 上で見てきた宮沢賢治の作詩法の特質には、フッサールの《還元》の考え方に近いものが感じられます。

 賢治自身、作詩法について書いた↓つぎのようなメモを残しています:


「詩は裸身にて理論の至り得ぬ
         堺を探り来る
    そのこと決死のわざなり
 イデオロギー下に詩をなすは
    直観粗雑の理論に
        屈したるなり」
(『詩法メモ』4)


 すなわち、作詩にあたっては、イデオロギーや理論の“色眼鏡”をすべて取り外し、「裸身」で対象に分け入って「決死」の探索を遂行しなければならないと考えていました。

 これは、フッサールの《現象学的還元》の考え方に非常に近いものではないでしょうか?



 そこで、吉本隆明氏が挙げていた賢治詩の3つの特質を、いまふり返って見ますと:


@ 空間・時間の自在性、異質な空間・時間と日常空間との隣りあわせ。

A 思想や感情の即物的な把握。風景や物の思想的・感情的な把握、生々しく原質的な対象把握。形態・色相・光線による実在の把握。

B 確固とした実在感をともなう幻想世界


 これらはいずれも、《現象学》によって開かれた認識世界を思わせます。

 @とBは、私たちの住む現実世界の持つ実在感を、とりあえず「エポケー」し、日常現実世界と、想定された世界(幻想世界)、想起される世界(地質時代や遠方宇宙)とを同等に見なすという《現象学的還元》の手法に似ています。

 Aは、ひとことでまとめれば、コトバや概念で“色づけ”される以前のナマの現象に遡るということでしょう。それは、《現象学》の認識手法そのものと言うことができます。

 そして、何よりも重要なことは、宮沢賢治は、科学の理論や宗教の教義による先入見を排して
(これは、科学を知らないとか信仰を持たないということではありません。自然や“心象”を見つめるときには、それらの先入見は“カッコに入れる”のです)、理論化される以前のナマの《現象》をたいせつにし、《ことば》になる以前の原生的な《世界》の姿にこだわったのです。そして、感性的体験を通じて、そうした原生的な・生まれたばかりの《世界》を捉え、記録しようとしました。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ