宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第3章 “もの”と名前
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 賢治の詩・短歌では、すでに初期の段階から、しばしばこの2つの例のように、いわば比喩として表現されたノエマ(もの,できごと)(「緑青」「藍銅鉱」「ぶなのひらめき」)が、目の前のできごと(「海面」「ブンゼン燈」)と同等の比重で、叙景の空間に存在しています。つまり、賢治詩の中では、比喩は単なる比喩ではない、比喩が、比喩されるものと同等の実質を帯びて、叙景空間に存在する―――と言えます。

 それが顕著になると、持ってこられたノエマが、作品空間のなかで、幻想として完全な‘実在性’を獲得してしまいます。雰囲気と風の感覚を表現する化学反応の“できごと”が、仮想的な実在性を獲得すると、周囲の状況を塗り替えてしまい、有毒ガスの作用を受けて作者は倒れてしまうのです:


「  まあちよつと黄色いろな時間だけの仮死ですな
   ううひどい風だ まゐつちまふ)

 まつたくひどいかぜだ
 たほれてしまひさうだ
 沙漠でくされた駝鳥の卵
 たしかに硫化水素ははいつてゐるし
 ほかに無水亜硫酸
 つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
 しやうとつして渦になつて硫黄華ができる
     気流に二つあつて硫黄華ができる
         気流に二つあつて硫黄華ができる

  (しつかりなさい しつかり
   もしもし しつかりなさい
   たうたう参つてしまつたな
〔…〕
『春と修羅』「真空溶媒」より。



 こうして、学生時代以来の賢治が、しきりに化学・鉱物学・気象学用語を使った理由が判明します。それは化学などに対する本人の関心の深さもありますが、詩の《方法》の問題としてはそれ以上に、作品の方法と構造が、それら用語の使用を要求したのです。

 また逆に、鉱石など硬質の物に対する作者の選好が、詩作においても硬質のノエマ(対象)を選ばせ、その結果として、表現された詩の世界は、しばしば力学的な構造―――剛体の接触や衝突、力の及ぼし合い、変形など―――をもつことになります。

 しかし、力学的な「心象」世界のはざまには、官能的な軟質のノエマが見え隠れしています。それは、幼児的世界への回帰の志向とつながっているかもしれません。むしろ、官能の幸福を求める性向が、対極に硬質のノエマを求めてバランスを取り、支えを得ようとしている―――そう見ることも可能です。

 唯一者、超越者への賢治の希求―――「ほんたうのほんたうの神さま」(『銀河鉄道の夜』)―――の根源は、おそらくそこにあるでしょう。幼児的感性を保存しながら、それを大人の理性(科学?大乗仏教?普遍宗教?)にがっちりと従属させることが、賢治の理想だったのかもしれません。


「ここらの匂ひのいいふぶきのなかで」

『春と修羅』「小岩井農場・パート9」より。


 ↑この種の、嗅覚と視覚と温度感覚がないまざったような“共感覚”的表現も、作者の精神医学的な特異形質を推定して、そのせいにするより、ノエマとしての感覚語の選択が自在におこなわれていたと考えるほうが、作品とその《方法》の理解に資すると思います。


 



「わびしい秋も終りになって
 楊は堅いブリキにかはり
 たいていの濶葉樹のへりも
 酸っぱい雨に黄色にされる」

『春と修羅・第2集』#311「昏い秋」1924.10.4.〔下書稿(一)〕より。


 ↑「楊」(ヤマナラシ,ドロノキ,ポプラなど、丸葉のヤナギ類)の、さらさらと鳴る黄葉が、金属の素材である「ブリキ」のノエマで語られています。そこから、「酸っぱい雨」が葉の「へり」を腐食して黄色くするという、化学現象のノエマへ、詩想は向かいます。

 この段階では、自然の対象を、いわば“見たまま”の現象として、とらわれなく語る流れに、作者は身を任せていたと言えます。しかし、↓つぎの例のように、農学校退職後の時期になると、日常生活の意識・感情により近い叙述が、作品の文脈を形成し、自然景物の描写も、作品の文脈に従属してノエマを選択するようになります:



「蜂蜜いろの夕陽のなかを
 みんな渇いて
 稲田のなかの萓の島、
 観音堂へ漂ひ着いた
 いちにちの行程は
 ただまっ青な稲の中
     
〔…〕

 青く澱んだ夕陽のなかで
 麻シャツの胸をはだけてしゃがんだり
 帽子をぬいで小さな石に腰かけたり
 みんな顔中稲で傷だらけにして
 芬って酸っぱいあんずをたべる
 みんなのことばはきれぎれで
 知らない国の原語のやう
 ぼうとまなこをめぐらせば、
 青い寒天のやうにもさやぎ
 むしろ液体のやうにもけむって
 此の堂をめぐる萱むらである。

『春と修羅・第3集』「穂孕期」1928.7.24.〔下書稿手入れ〕より。


 ↑最後の3行は、『第1集』と変らないような特徴ある表現が目立っていますが、他の部分にも、「蜂蜜いろの夕陽」「萓の島」「漂ひ着いた」「青く澱んだ夕陽」など、ほかの人の詩や散文には見られない「心象スケッチ」独特の表現が見られます。終日の稲作巡検で疲れ切って憩んでいるという主情的な文脈の流れは、しっかりと貫いていて、「心象」のスケッチは、その作品の文脈に、完全に溶け込んでいます。みごとと言うほかはないと思います。
 
(ほかにも、「麻シャツの胸をはだけてしゃがんだり」以下数行に見られる“身体性”は注目に値します。これは『第1集』には見られないもので、表現の現実化によって可能になった中期〔ca.1926-1931〕の特徴と言えそうです。中期の“身体性”については、ほかの方のご指摘で最近気づきました。しかし、この《序説》ではこれに深入りしません)
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