宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第1章 「詩ではない」と言う詩人
2ページ/4ページ

.
 森あて書簡から9ヵ月後に、岩波書店主にあてた次の書簡の場合には、謙遜よりも気負いが目立っています:




「わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。

 心象スケッチ春の修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。友人の先生尾山といふ人が詩集と銘うちました。

 詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。」

(1925年12月20日 岩波茂雄あて)


 世間に罷り通っている詩人たちの作品を、「いままでのつぎはぎしたもの」と一蹴しているのも凄いですが… ここで注目されるのは、自分の書いたものは、

「事実のとほりに記録したもの」

 だと言っていることです。

 宮沢賢治は、自分の体験した「それぞれの心もちをそのとほり科学的に記載」しようとしてスケッチを行ない、「厳密に事実のとほりに記録したもの」を得たと考えていたことになります。すべて、作者の「心もち」としては事実そのままなのだ、と言うのです。

 もっとも、「そのとほり」「事実のとほり」という部分は、注釈が必要です。それは、フィクションを排除するものではないからです:


「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。

 ですから、これらのなかには、
〔…〕なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」
『注文の多い料理店』「序」,1923年12月20日


 山猫や柏の木が出てきて人間の言葉をしゃべる賢治童話、明らかにフィクションであるこれらの童話について、著者は、


「どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いた」

「なんのことだか、わけのわからない」
ことも、「そのとほり書いた」


 と言うのです。同様のことは、この童話集の広告チラシにも書かれています:


「この童話集の一列は実に作者の心象スケツチの一部である。それは少年少女期の終り頃から、アドレツセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとつてゐる。
この見地からその特色を数へるならば次の諸点に帰する。

     
〔…〕

 🈪 これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。

  多少の再度の内省と分折とはあつても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。」

『注文の多い料理店』広告文 より。


 ここでも、「たしかにこの通りその時心象の中に現はれたもの」に、「多少の再度の内省と分析と」を加えた「心象スケツチ」だと言っています。




 そうすると、宮沢賢治の言う「そのとほり」「事実のとほり」とは、私たちが、心に浮かぶことを“そのとおり”記録すると、ふつうに言うのとは、何か違うと思わなければなりません。

 つまり、私たちの心に浮かぶ考え、“記録”できるような言葉になっている考えというものは、じっさいには、私たちの無意識の底から“考え”が浮かび上がってくる過程で、幾重にも“検閲”を受け、“常識”で整理され、論理化され、言語化されたものを、私たちは、はじめて心に浮かんだかのように意識しているのだと考えられます。

 したがって、その浮上して来る経路を、少し変えてやれば、宮沢賢治の言うような、山猫や柏の木が言葉をしゃべって人間を脅したり、お愛想したりするような場面が浮かんできても、おかしくはないかもしれません。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ