『心象スケッチ 春と修羅』
□オホーツク挽歌
3ページ/26ページ
枕木を燒いてこさえた柵が立ち
(八月の よるのしづまの 寒天アガア凝膠ゼル)
支手のあるいちれつの柱は
なつかしい陰影だけでできてゐる
黄いろなラムプがふたつ點つき
せいたかくあほじろい驛長の
眞鍮棒もみえなければ
じつは驛長のかげもないのだ
(その大學の昆蟲学の助手は
こんな車室いつぱいの液体のなかで
油のない赤髮けをもぢやもぢやして
かばんにもたれて睡つてゐる)
────────
わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
ここではみなみへかけてゐる
燒杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアの澱をりをよどませ
あやしいよるの 陽炎と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ驛
(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求ききうの同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない