宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第1章 「詩ではない」と言う詩人
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宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ

―――「心象スケッチ」論序説






こんどは風が             
みんなのがやがやしたはなし声にきこえ 

―――宮沢賢治「鈴谷平原」 






 1 「詩ではない」と言う詩人 ――― (i) 「或る心理学的な仕事」


【この節のアウトライン】 宮沢賢治本人の発言から、賢治詩
の《方法》である「心象スケッチ」の実体に
光を当てようとすると、それは「心象」の「
記録」である、「心理学的な仕事」の準備で
ある―――などの言葉が返ってきて、私たち
は、とまどいを覚える。




 宮沢賢治の詩の“むつかしさ”“わかりにくさ”に辟易して、賢治自身が自分の詩について述べた発言に助けを求めようとすると、私たちは、そこに、また新たな“迷宮”を発見してとまどいます。

 宮沢賢治は、生前に自ら公刊した唯一の詩集である『心象スケツチ 春と修羅』について、約1年後に詩友にあてた手紙のなかで、つぎのように書いています:



「前に私の自費で出した『春と修羅』も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とか完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の支度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」
(1925年2月9日付、森佐一あて書簡)


 すでに自費出版した『心象スケッチ 春と修羅』や、いま手元で書き進めている『春と修羅・第2集』
(出版を計画していたが、けっきょく出版されず。)のための諸篇を指して、みな「到底詩ではありません。」と言い、将来完成される「或る心理学的な仕事」の資料とするために、「心象のスケッチ」をしているのだ、と言うのです。


 この「詩ではない。」と言う賢治の発言は、けっして冗談でも卑下でも謙遜でもなかったようです。たとえば、製本されてきた『春と修羅』の背表紙の『詩集』という文字を、彼は、銅粉でこすって消していたほどでした。

 この詩集―――と呼ぶと著者の意図に反するのですが―――は、単に、作者がそのときどきの感想や思いを、詩にして書き溜めたというようなものでなかったことは、たしかです。何か壮大な計画のもとに、「心理学的な」問題を、できれば学問的に解明したいと考え、そうした“研究”のための資料作りとして制作したもの……。↑上の手紙の記載からは、そう思わざるをえないことになります。そういう彼の発言は、『春と修羅』の諸作品を「詩」として読み、感銘している私たちを、たいへんに戸惑わせるものです。

 “詩ではない。心象のスケッチだ。”と言うこれらの作品を、宮沢賢治は、どんな目的で、どんな構想をもって制作したのでしょうか?
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