宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ
□第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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「夜の12時が鳴った。裁判長はやむをえず話を中断した。不安のただよう沈黙のなかを、大時計の鐘の音が法廷に響きわたった。
《おれの最後の日がはじまるのだ》と、ジュリヤンは考えた。まもなく、義務の観念が身体じゅうに燃えあがるのを感じた。〔…〕裁判長からなにかつけたすことはないかときかれて、ジュリヤンは立ち上がった。〔…〕
『陪審員のみなさん、
死ぬまぎわになれば、軽蔑など問題ではなかろうと思っておりましたが、やはり軽蔑されるのはやりきれませんので、一言いわせていただきます。みなさん、わたくしは残念ながら、みなさんの階級に属する人間ではありません。ごらんのとおり、わたくしは、自分の卑しい身分から抜け出そうとした、ひとりの百姓であります』
ジュリヤンはいちだんと声をはりあげた。
『わたくしは、みなさんのお情けを求めはいたしません。甘い考えなどはけっしてもってはおりません。わたくしは死ななければならないのです。〔…〕
わたくしは死刑に値します。しかし、かりにわたくしがこれほどの罪を犯さなかったにしても、わたくしの少年時代がどれほど同情に値するものだったかなどということは考慮しないで、わたくしを罪に落とそうとするひとびとがいることを知っています。
そうすることによって、卑しい階級に生れ、いわば貧困にいためつけられながらも、さいわいりっぱな教育を受け、金持のひとたちが得意になって社交界と呼んでいる世界へ、ずうずうしくもはいりこもうとする青年の一団を、徹底的に打ちのめしてしまおうというのです。
みなさん、わたくしの犯した罪とは、そういうものなのです。〔…〕』
20分も、ジュリヤンはこういった調子でしゃべり続けた。心の中にたまっていたものをすっかりはきだした。」
スタンダール,小林正・訳『赤と黒』,下巻,2012年改版,新潮文庫,pp.503-505.
この 1820年代の背景をすこし説明しておきますと、陪審員はみな貴族ですが、その大部分は、貴族身分を金で買った成り上がり貴族でした。当時、貴族の地位は買うことができましたから、市民、商人、役人などで金のある人は、みな貴族に成り上がりました。当時フランスで“ブルジョワ”(市民)と呼ばれていたのは、彼ら成り上がり貴族のことなのです。
しかし、大革命や、それに続くナポレオン時代の余燼はまだくすぶっていましたから(その結果、『赤と黒』印刷中の 1930年には“7月革命”が起き、復古王政は覆されます)、貴族(ブルジョワ)は、自分たちの地位を守ることに汲々としていました。平民(「百姓」)の中に反抗を企む者はいないか、彼らはいつも目を光らせていたのです。
ジュリアンの場合は、貧困な材木商の息子で、貴族の地位を買う金など手に入れようがありませんでしたが、恋人にした貴族の娘マチルドが出産したために、マチルドの父侯爵から、結婚許可と同時に貴族の地位を手に入れたのでした。
ところが、それを知った元恋人レナール夫人は激怒し、上流社会に入りこもうとするジュリヤンの意図を手紙で暴露したので、侯爵は憤慨して結婚許可を取り消します。将来を閉ざされたジュリヤンは、自分が何を考えているのかもわからない状態でレナール夫人のいる故郷の町ヴェリエールへ赴き、教会でお祈りをしている彼女の後ろからピストルを2発撃ちこんで傷を負わせます。その殺人未遂事件の法廷なのです。
ジュリアンもまた、成り上がりの貴族たちと同様に、差別され重税を搾取される「百姓」の身分から這い上がろうとしていたのですが、彼らより何代か遅れ、また、彼らとちがって、金ではなく、才知と美貌と、強烈な上昇意欲(自意識、《自我》)によって成り上がろうとしていたのでした。
「心の中にたまっていたものをすっかりはきだした。」とあるように、この最終陳述の内容は、予定していなかったものでした。
レナール夫人が、陪審員全員に、ジュリアンの助命を嘆願する手紙を送ったこともあって、この最終陳述の前までは、審理は被告人に有利に進んでいるように見えていました(もっとも、貴族である陪審員たちが、心の中でどう考えていたかはわかりません。)ところが、ジュリヤンは最終陳述で、この裁判の本質をあからさまに暴露してしまいました。この裁判は、殺人事件の法廷に名を借りた、社会的制裁の場である。不遜にも上流社会に割り込もうとする「百姓」を裁いて見せしめにすることが、「私を罪に落とそうとする人々」の目的なのだと、彼は告発しました。その“告発”自体が、被告人の立場をわきまえない発言として、陪審員たちを激昂させたかもしれませんが、小説には、傍聴席の女性たちの涙をしぼったとしか書かれていません。そして、ジュリアン自身は得意の絶頂でした。
ジュリアンの陳述は、彼のヴェリエール行きと同様に、彼自身の意図を超えたものの噴出だったと言えます。
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