宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ
□第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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この部分をほかの下書稿で見ると:
「和布(わかめ)を購りつそのあるじ
こなたに瞳をこらすなり」
「社会主事 佐伯正氏」〔下書稿(三)〕
「橋のたもとの 装蹄工(かなぐつや)
しろき火花を 撃ちやめて
こなたに瞳を こらすなり」
「社会主事 佐伯正氏」〔下書稿(一)〕
となっていて、「橋のたもとの装蹄工」→ ワカメを売る商店主 → 「馬を相する」馬喰 というように変遷してきたことがわかります。じっさいには下書に書き下ろさなかった候補も含めて、“凝視する町の人”の職業をいろいろに変えて《追体験》していることがわかります。
最終的に「馬を相するをのこら」に落ち着いたのは、馬の良し悪しを視ることのできる慧眼で、あなたは品定めされていますよ、という皮肉かもしれません。
いずれにせよ、作者のイメージする登場人物は、日曜でも表に出て仕事をしているひとだったようです。しかし、具体的にどんな人を登場させるかで、この詩に描かれた・雪におおわれた町の相貌は、違ってくるでしょう。
「マグノリア」が描きこまれていて、宗教的な清浄なふんいきが漂っていますが、豊澤町には、当時バプテスト派のキリスト教信者も多かったそうです(雑賀信行『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』,2015,雑賀編集工房)。田舎町だからといって、ばかにできませんよ、ということです。
もうひとつ例を出しましょう。
文語詩「流氷(ザエ)」。「あゝきみがまなざしの涯、 うら青く天盤は澄み、‥」という第3連で有名な詩ですが、ここでは第2連を逐次のテキストで見ます:
「青じろきかの岩層(むら)も
けさなべて雪にうづもれ
なめらかにとめくる水は
百千の流氷(ザエ)を載せたり」
『文語詩稿五十篇』「流氷(ザエ)」〔下書稿〕より。
「見はるかす段丘の雪、 なめらかに川はうねりて、
天青石(アヅライト)まぎらふ水は、 百千の流氷(ザエ)を載せたり。」
『文語詩稿五十篇』「流氷(ザエ)」〔定稿〕より。
〔下書稿〕も〔定稿〕も、北上川鉄橋を通過する列車から眺めた・同じ場所の風景なのですが、視線の向け方はずいぶん異なっています。
〔下書稿〕のほうは、景物のひとつひとつに目を凝らして、即物的に記述しています。風景の全体をとらえる視線は希薄です。
それに対して〔定稿〕では、雪に埋もれた段丘の間を蛇行して流れる北上川、その水面を流れて来る流氷の風景が、印象深くまとまっています。
《追体験》のたびに―――この場合は、列車で現場を通るたびに見る“再体験”かもわかりませんが―――同じ風景でもかなり違った“見え”を現します。作者は、そのいちいちをとらえて“推敲”に反映させ、より研ぎ澄まされた《本質》の看取を進めて行ったのだと思います。
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