ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.8.3


古語の「すがる」を、辞書で引きますと:

“細腰の女性の比喩として用いられた”

“細腰が万葉時代の女性の美しさの基準だった”

──などと説明している辞書が多いのです‥
しかし、‥日本史の教科書には、違うことが書いてあったような気がするのです:“鳥毛立女屏風”(8世紀,正倉院)

↑このような、ふくよかな女性が、奈良時代の美女の基準だったと、日本史の授業では習ったと思うんですが‥。こちらは、ぜんぜん細腰ではありません。腰がくびれてもいません。男性の場合は、腰に帯を締めて、くびれを見せた(お札の聖徳太子を参照!)のに対して、女性の場合は、上衣はゆったりと垂らしていましたから、‥とにかく太めに見せるのが美女だったということになります。

ちなみに、現在の日本人の美感覚で考えてみますと、細腰は、男女の別なく、美形の基準だと思います。

さて、前nの論文リンク「方言の形成と意味変化」の「2.文献に見られる中央語の『スガリ』の意味」を読むと、『万葉集』の時代から、「すがる」は、ジガバチを指す言葉だったことが分かります。

『万葉集』で、「すがる」の用例は3箇所しかありません。それを次に引用してみます:

@「しながとり 安房(あは)に継ぎたる
  梓弓(あづさゆみ) すゑの珠名は
  胸別(むなわけ)の 広き吾妹(わぎも)
  腰細の すがる娘子(をとめ)の
  其のかほの きらきらしきに
  花のごと 咲(え)みて立てれば
  〔…〕」
(9・1738 高橋虫麻呂)

〔安房国の隣り・上総の周淮(すえ:千葉県君津市付近)にいた珠名(たまな)は、乳房が大きくて左右に張り出しており、みんなのアイドルだった。スガルのように腰の細い少女で、その美しい端整な顔立ちで、花のように微笑んで道端に立っていると、‥‥〕

@は、高橋虫麻呂が上総地方で収集した民話の一つ。タマナというマスクもスタイルも良い娘がいて、立って微笑んでいるだけで道行く男たちは行く先を忘れてタマナの家まで付いて来てしまうし、隣家の主人はあらかじめ妻を離別した上で、頼まれもしないのに自分の家の鍵を持って来るし、‥タマナはほしいままに男たちにしなだれかかってはセックスに耽った、という話。

胸が大きくて腰が細い美女を「すがる」に喩えています。



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