ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.4.5
. 旭川
馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。
黒布はゆれるしまるで十月の風だ。
一列馬をひく騎馬従卒のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。
馬車の震動のこころよさ
この黒布はすベり過ぎた。
もっと引かないといけない
こんな小さな敏渉な馬を
朝早くから私は町をかけさす
それは必ず無上菩提にいたる
賢治を乗せて出発すると、馬の首につけた鈴が鳴り、馭者は楽しそうに口笛を吹いて進みます。
「黒布」は、馬の背に掛かっているのでしょうか?‥それとも、馬車の座席に掛けてあるのでしょうか?
「馬車の震動のこころよさ/この黒布はすベり過ぎた。/もっと引かないといけない」
と言っているところをみると、馬車の座席のようです。
馬車の振動で、お尻の下に敷いてある「黒布」がずれ落ちてしまったので、「引かないといけない」と言っているのです。
旭川は、標高112メートル(市役所地点)、しかも早朝ですから、馬車で走れば「まるで十月の風」です。
「偶然の馬」という表現は、一見不可解ですが、賢治の馬好きを考えれば納得がいきます。華麗なハックニー種に、こんなところで偶然出会うなんて‥と、思わぬ邂逅を喜んでいるのです:──「たてがみは火のやうにゆれる。」
快い馬車の振動に身をゆだねていたので、いつのまにか、尻の下に敷いていた布がずれてきてしまいました。
「それは必ず無上菩提にいたる」
「無上菩提」は、“この上ないすぐれた仏の悟り”だそうです。「菩提(ぼだい)」は、ブッダの悟り,涅槃の境地をなす智慧のことで、煩悩の断たれた状態。それに「無上」を付けて至高性・完全性を強調した表現なのだとか‥
大げさですが、ともかく、作者としては、馬車に乗って上機嫌なのです。
「植民地」風景の讃美、そして「無上菩提にいたる」という最高の気分、まるで宮沢賢治は、植民地主義絶賛のようですが‥‥ギトンは、そこには、賢治なりの意図があって書いているのだと思います。しかし‥それは、最後に種明かしすることにして、いまはこのまま、すなおに読んでいきたいと思います。
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