ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.5.2


. 春と修羅・初版本

01《みんなサラーブレツトだ
02 あヽいふ馬 誰行つても押へるにいがべが》
03《よつぽどなれたひとでないと》
04古風なくらかけやまのした
05おきなぐさの冠毛がそよぎ
06鮮かな青い樺の木のしたに
07何匹かあつまる茶いろの馬
08じつにすてきに光つてゐる

牧野を自由に走り回っている馬は、野生馬ではなく、飼育農家や農場が、放し飼いにしている馬です。サラブレッドは競走馬として需要があるので、多かったと思われます。当時は、夏の間だけ放牧して、自然の草を食べさせていたのです:サラブレッド

「誰か行っても捕まえられないのかな。」などと生徒が言っています。

6月ですから、オキナグサは、もう赤い花は散って冠毛と種子になっています:オキナグサ、冠毛

09(日本絵巻のそらの群青や
10 天末の turquois(タコイス) はめづらしくないが
11 あんな大きな心相の
12 光の環(くわん)は風景の中にすくない)

「群青」は、藍銅鉱を原料とする岩絵具(岩群青)、またはその色で、紫がかった濃い青です:群青、ターコイズ 絵巻物の空は、岩群青で塗ってあるのでしょうかね。

「turquois(タコイス)」は、トルコ石、またはその色(ターコイズ・ブルー,turquoise blue)で、緑がかった不透明な水色です。

「天末[てんまつ]」は、空が大地と接する線、スカイラインのこと。

「日本絵巻のそらの群青」と「天末のturquois(タコイス)」は、じっさいに今見えている空。空はよく晴れて深い青、低空にだけ靄がかかって水色なのです。

「光の環」は、日暈(ひがさ、にちうん)だと思います。青空に薄く高層雲がかかっているために、太陽のまわりに大きな光の輪が見えるのです:日暈

「心相」は仏教用語で、‘こころ’と‘認識された姿’を云うそうです。ここでは、目に映り心に映ったけしきという意味でしょうか?

13二疋の大きな白い鳥が
14鋭くかな[しく]啼きかはしながら
15しめつた朝の日光を飛んでゐる
16それはわたくしのいもうとだ
17死んだわたくしのいもうとだ
18兄が來たのであんなにかなしく啼いてゐる
19 (それは一應はまちがひだけれども
20  まつたくまちがひとは言はれない)
21あんなにかなしく啼きながら
22朝のひかりをとんでゐる
23 (あさの日光ではなくて
24  熟してつかれたひるすぎらしい)

空を飛んでいる2羽の鳥が、たがいに鳴きかわしている声が、作者には「かなしく」聞こえます。

亡くした妹の追憶で、鳥の声を聞いても悲しく聞こえるのは、よく解るのですが‥
2羽のうちの1羽を

16それはわたくしのいもうとだ
17死んだわたくしのいもうとだ

と思うのは、ふつうの感覚とはちがうのではないでしょうか。なぜ、その鳥が「いもうとだ」と思うのでしょうか?‥

18兄が來たのであんなにかなしく啼いてゐる

と「わたくし」が感じている点に注目して、菅原智恵子氏は、つぎのように指摘されます:

「ごく普通の肉親の死の訣れであったなら、死んで白い鳥になった妹が、兄の訪れをよろこばないはずはない。けれど、心を隠し続けることで妹を裏切った賢治は『あんなにかなしく啼いている』と感じてしまうのだ。」

(『宮沢賢治の青春』,角川文庫,p.189)
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