ゆらぐ蜉蝣文字
□第0章 いんとろ
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0.2.5
◆◇◆1925年1月の宮沢賢治◇◆◇
1925年1月の冬休み期間中に、賢治は三陸方面に一人旅をしています:地図:賢治の行程
鉄道マニアだった賢治は、1924年11月に開通した八戸線:八戸〜種市間に乗るのが目的だったと思われますが、
途上の《心象スケッチ》には、『春と修羅』と『注文の多い料理店』の各初版本出版を終えた時期の作者の心境が現れています。
それは、安定するにはほど遠く、なお“内なる衝動”を抱えながら霧の中の旅を続ける者のつぶやきにも思われます。
1月6日付の詩「暁穹への嫉妬」に現れる「サファイア風の青い星」は、賢治が思いを寄せた男性と推定することができます:暁穹への嫉妬
「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら」
「薔薇輝石‥あけがたのそら」のイメージは明らかに女性のものです。その女性の「かゞやき」に溶けこんで消えてゆく「清麗なサファイア風の惑星」は、若い無垢な男性を表していないでしょうか。。。
しかし、作者は、「青い星」への断ち切りがたい思いに悩みながらも、
日が昇って明るくなると、三陸の「万葉風の」雄大な太平洋と、「百の岬」の夜明けが、作者の心の澱りを洗って行くかのようです:
「……雪をかぶったはひびゃくしんと
百の岬がいま明ける
万葉風の青海原よ……
滅びる鳥の種族のやうに
星はもいちどひるがへる」
1月8日の「旅程幻想」では:
. 旅程幻想
「いまこの荒れた河原の砂の、
うす陽のなかにまどろめば、
肩またせなのうら寒く
何か不安なこの感じは
たしかしまひの硅板岩の峠の上で
放牧用の木柵の
楢の扉を開けたまゝ
みちを急いだためらしく
そこの光ってつめたいそらや
やどり木のある栗の木なども眼にうかぶ
その川上の幾重の雲と
つめたい日射しの格子のなかで
何か知らない巨きな鳥が
かすかにごろごろ鳴いてゐる」
《閉めないで来てしまった峠の柵の扉》と、そこから逃れ出て来たような「巨きな鳥」の微かな鳴き声…
牧場の柵の戸を閉め忘れるようにして、置いてきてしまった恋が、
いままた思い出されているのだと思います。
しかし、柵の扉を抜け出して追いかけて来た想念は、恋の幻影だけではありません。
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