07/28の日記

12:32
ラヴォアジェ(11)

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こんにちは。。








「彼〔ラヴォアジェ───ギトン注〕は、衛生と貨幣委員会の助手であった。

 1791年彼は国庫の組織作りをする役員に任ぜられ、課された任務を完全に果たし、1年半後、初めてこの地位から去った。

 彼は1791年、立法議会の法令により工芸技術相談所の所員に任命され、功績があるが貧しい技術者に、国庫の報奨を与えるよう努力した。

 1793年、彼はアシニア紙幣および貨幣委員会により貨幣の鋳造と改鋳の計画に携わり、貨幣の偽造を不可能にする方法を考え出した。

 1790年から1793年まで、彼は国民公会により決められた新しい度量衡制定に関する作業に従事した。」(「自伝ノート」)










ラヴォアジェの革命期(1789年〜)における活動は、↑これだけではありませんが、この「自伝ノート」に記されている事項から、まず見ていきたいと思います。



年代にして最初の「度量衡制定に関する作業」(1790年〜)は、“メートル法”を制定するための科学者の共同事業で、

ラヴォアジェが革命前から所属していた「フランス科学アカデミー」が関わった大規模なプロジェクトでした。






「科学アカデミー」(Académie des sciences)(1666年創立)は、フランス絶対王政期に設立された王立学術団体のひとつで、




「アカデミー・フランセーズ」(Académie française)(1635年創立)───フランス語の標準化と辞書の編纂を任務とします。



「碑文・古文書アカデミー」(Académie des inscriptions et belles-lettres)(1663年創立)───古代・中世の碑文、古文書、考古学資料の調査研究☆を任務とします。


☆(注) 現在では、より広く、考古学・言語学一般、および東洋学の研究を含みます。


とともに、アンシャン・レジーム期の文化の中心でした。




「科学アカデミー」(Académie des sciences)の著名な会員としては:



オランダ出身の物理学者・天文学者で、振り子時計を発明したホイヘンス(Christiaan Huygens 1629-1695)



動物、植物、鉱物、天文学にわたる『博物誌』を著したビュフォン伯爵(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon 1707-1788)


『百科全書』を著述・編集した啓蒙哲学者ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert 1717-1783)☆

☆(注) 彼自身の専門は、運動力学で、ニュートンの運動第2法則(F=mα)を流体力学に応用した「ダランベールの法則」があります。



ラヴォアジェと同年生まれのジロンド派議員で、『人間精神進歩の歴史』や公教育思想で知られ、民主主義のしくみを数学的に考察した啓蒙哲学者・政治学者コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet 1743-1794)



波動物理、熱伝導の研究(フーリエ解析など)で有名なフーリエ男爵(Jean Baptiste Joseph, Baron de Fourier 1768-1830)



物理、微積分、確率論(ポアソン分布など)に業績を残したポアソン(Siméon Denis Poisson 1781-1840)



などがいます。




ラヴォアジェは、1772年に科学アカデミーの専門委員となり、1778年に年金受給会員に任命されています◇



◇(注) 「科学アカデミー」会員の主な仕事は、さまざまな人、組織から持ち込まれる“科学的な発明・発見”の主張を調査して真偽・価値を判定すること、「懸賞問題」を公表して一般の人々からの解答を審査すること、会員内外への研究費の援助について政府に助言すること、大臣や政府官職の諮問に答えて科学的な問題を調査研究すること、などでした。




「科学アカデミー」(Académie des sciences)は、革命期の1793年に、ジャコバン派が中心となった国民公会によって廃止されますが(1794.5.ラヴォアジェ処刑)、ロベスピエール派失脚後の1795年には、新設の「フランス学士院」の一部門として再建されています。
















グリモーが挙げているラヴォアジェの「科学アカデミー」での報告には、つぎのようなものがあります(グリモー,田中・他訳『ラボアジェ』,pp.88-92):



・監獄と病院の改造(財務大臣ネッケルからの諮問)

・りんご酒の製造法、とくに鉛化合物など添加物の毒性の調査研究

・「動物磁気」(奇跡的な難病治療の方法として当時もてはやされた)の調査。まったく科学的根拠のないペテンだと結論しています。

・モンゴルフィエの熱気球の追試と改良実験。ラヴォアジェは水素気球を提案しています。

・鉄鉱石の冶金・精錬工場の見学と、原料・溶融物の成分分析、温度測定等。

・鉛鉱石の分析

・経度の決定

・「安全灯」の試験

・病人用「自動肘掛け椅子」の試験

・「消毒ポンプ」

・大便壺から発生するガス

・泥炭

    ‥‥‥‥などなど




   





ラヴォアジェの「自伝ノート」↑にある「度量衡制定に関する作業」とは、「科学アカデミー」(Académie des sciences)で、革命勃発よりもずっと以前から議論されていた度量衡の統一に関する議論で、

1790年5月には、「憲法制定国民議会」の決議を得て、“メートル法”制定の大規模プロジェクトとして出発します。





アンシャン・レジームのフランスでは、度量衡(「寸」「尺」「マイル」など長さの単位、面積、体積の単位、「オンス」「貫目」など重さの単位、時間の単位、等)は州ごとバラバラで、教区(村、部落の大きさ)ごとに異なる場合もありました。


度量衡を統一しなければ、取引にさしつかえるし、政府が全国一律の法令を施行することもできないのでした。



「科学アカデミー」(Académie des sciences)の構想は、パリとか、どこかの地方の度量衡を“標準”として公認するのではなく、全人類に通用するような客観的・科学的な単位を創設することでした。


そこで、ラヴォアジェらの“度量衡委員会”は、イギリスの「王立協会」やアメリカの科学者にも呼びかけて、国際的な委員会を創ろうとするのですが、すでに革命期であったため、協力は得られず、フランス単独で作業を開始します。








1668年に、イギリスのジョン・ウィルキンスは、1/2「秒」(1日の86400分の1)を往復周期とする振り子の長さ★を、長さの1単位とすることを提案しました。


★(注) ホイヘンスの測定によれば、現在のメートル法で1メートルに近い長さ。なお、日本語版ウィキペディアに「2秒」「イングランド・インチ」とあるのは誤りで、正しくは、「2分の1秒」「ライン低地地方・インチ」です。“In 1668, Wilkins proposed using Christopher Wren's suggestion of defining the metre using a pendulum with a length which produced a half-period of one second, known as a 'seconds pendulum'. Christiaan Huygens had observed that length to be 38 Rijnland inches or 39.26 English inches.”(Wikipedia English "Metre")




ラヴォアジェら(数学者ラグランジュ、物理学者ボルダら)は、次の3つの提案を検討しましたが:




○ 周期1/2秒の振り子の長さを1“メートル”とする。

○ 地球の赤道の長さの4000万分の1を、1“メートル”とする。

○ 地球の子午線の長さの4000万分の1を、1“メートル”とする。






しかし、振り子の周期時間は、測定する場所によって、山塊や海洋の影響で重力の大きさが異なるために、一定しないので、普遍的単位として不適当だということが分かり、


赤道の長さの測定は、熱帯地方では測定器具が伸び縮んで不正確になるうえ、海上での観測になるので、困難が大きい‥



最終的に、子午線の長さの4000万分の1を1“メートル”とする案が採用されました。



そして、ヨーロッパ大陸のダンケルクからバルセロナまでの正確な測量を、じっさいに行なって、子午線の4分の1の長さを測定する野外プロジェクトが行われました。






ダンケルクの鐘楼。
「科学アカデミー」のプロジェクトにより
ドランブルが行なった子午線弧長測量の
北限ランドマークとして使用された。







ばいみ〜 ミ



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カテゴリ: ラヴォアジェ

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