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□好意の方向
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〜羽鳥芳雪の場合〜



「トリ!」



朝食を作り終え、会社に向かおうとする俺を、聞きなれた声が呼び止める。
俺は、その今日何度目かも分からない呼びかけに振り返り応えた。


「…何だ?吉野」


朝から料理を作っているとき、
朝食を並べているとき、
スーツに着替えているとき、
…と今日は、何度呼ばれたか分からない。


そのたびに、俺はこうやって振り向いて用件を聞こうとするのだが


「あっ!い、いや!!お仕事がんばって…」


といった感じで、吉野は用件らしい用件を言ってこない。
でも、そのかわりに、振り返った瞬間、
一瞬だけ、すごく嬉しそうな顔をするから、それがなんとも可愛くて、俺はその事について何も言えないでいる。


「?…ああ、そう思うなら早くプロットを仕上げてくれ」

「うっ…わ、わかってるよ!もう半分は出来てるんだ!」

「へえ、それじゃ見せてみろ」

「…頭の中…で・・・」


俺が無言で睨みつけると吉野はバツが悪そうな顔をして、だって…と口ごもる。
それを見た俺は深くため息をついてみせた。


「とにかく、お前はいつも後半になるとペースが落ちるんだからな。早めに取り掛かれよ」

「わ、わかってるよ!あー、もう、会社行くんだろ!?早く行けよ!」

「…ああ、いってくる」


本当にこれ以上言い合っていると遅くなってしまう。
俺はお前が呼び止めたくせに、という言葉を飲み込んで、ドアを開け会社へと向かった。




社に着くと、そこにはいつもより明らかに機嫌のいい高野さんと、木佐、小野寺の姿。
校了明けだというのに、この時間にこのメンバーがそろっている事にも驚きだが、
一番気になるのは高野さんの機嫌の理由だ。


…高野さんどうしたんだ?


俺はそう目配せで木佐に問いかけた。
でも木佐にも心当たりがないらしくは『さぁ?』と首をかしげている。


ということは…
多分小野寺絡みだな。


何にしても上司の機嫌が良いに越した事はない。
俺はそれから、振り分けられた今日の仕事を黙々とこなしていった。




校了明けでそこまで厄介な仕事もなかった為、今日はもう帰れそうだ。


俺は、時計の針が5時を指しているのを確認し、
荷物をまとめると「では、お先に失礼します」と一言入れて席を立つ。

すると丁度仕事を終えた木佐の「俺も!帰るわー」という声が聞こえたので、
一緒に編集部を出た。



「今日の高野さん機嫌よかったよなー」
「そうだな」
「りっちゃんかなー?」
「小野寺だろうな」



なにか悪戯な笑みを浮かべながら話す木佐に相づちを打ちながら
俺はエレベーターが来るのを待っていた。



するとその時、




「あ、あの、羽鳥さん!」




後ろから少し緊張したような、高めの声が俺を呼んだ。

今日はよく後ろから呼ばれる日だ、と思いながら振り向くと、そこには総務の女子社員が立っていた。

「はい?」

俺が返事をすると、その女子社員は少し残念そうな顔を見せた後、
「すみません、なんでもないです、お疲れ様です」と言って立ち去ってしまった。


なんなんだ…俺がその女子社員を見ながら怪訝そうな顔を浮かべていると、
横からまた更に悪戯な顔をした木佐が話しかけてきた。


「あーあ、羽鳥はモテるねー、あの子かわいそー」
「…なんでそうなる」
「あれ?お前朝テレビ見ないんだっけ?」
「ああ…」


俺は、朝は吉野の朝食作りがあるからなと、心の中で応え「なにかあったのか?」と聞き返した。


「今朝番組の特集で、恋愛心理学ってのやってたんだけど、そこでな
『相手を後ろから呼んだ時、右から振り返ればその人はあなたに好意を持っています。』
って言ってたんだ」


俺は木佐のその話を聞きながら、ある人物の顔を思い浮かべていた。

朝から何度も、何度も、
俺を後ろから呼んでは嬉しそうに微笑んでいた
愛しい人の顔。



”千秋― ”



ああ、だから俺を後ろから何度も呼んだのか。


まったく・・・
どうしてお前は、いつもそんなに俺を喜ばせる事ばかりするんだ。



「多分、あの子はその番組見て羽鳥に声かけたんだよ、でも羽鳥今左から振り向いただろ?
まあ、2分の1の確率なんだけどさ、女の子はそーいうの気に―――…羽…鳥?」


俺はその驚いたような木佐の声で、木佐の話がまだ続いていた事に気づく。

「ああ、すまない…なんだ?」
「ん?いや、いいもん見たわー、羽鳥でもそんな顔するんだな」


ニヤリと口角を上げながら、俺を覗き込む木佐に
「どういうことだ?」と聞き返そうとしたところで
タイミングよくエレベーターが『チン』という音を立て扉を開けた。







長くなったので
次も「羽鳥芳雪の場合」をお送りします。
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