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□悪戯
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「みーほこ。」

待ち合わせたその場所で、不意に肩を叩かれる。同時に伏せて居た視界が揺れる。頭の中に浮べて居た人が、今は私の隣に居る。

「上埜さん、」

声で、触れ方で、微かに鼻を掠める芳香で解ってしまうのは、私がこの人を意識し続けた結果だと思う。

「何時も待たせちゃって御免ねー…。美穂子来るの早いんだもん。私も急いで来てるんだけどなあ…。」

吐く息も白くなりつつある気温。活気の無い公園に設置されたベンチに座る。大きめのパーカーを羽織った上埜さんは、両手をポケットに仕舞い、思い返すように宙を眺めている。

「いえ、まだ待ち合わせの時間には早いですよ。それに私は…、上埜さんを待つ時間、好きなんです。だから、自然と…。」

事実、上埜さんが待ち合わせの時間に遅れた事は一度も無い。待つのも、長くて30分程度である。その間に、掛けて貰った言葉を思い出したり、今日は何を話そうかと考えているのだ。そんな事をしていると、あっという間に時間が過ぎる。考える内に会いたい気持ちも大きくなるから、上埜さんを視界に映した時の喜びも増すというものだ。

「…変わってるわね、美穂子は。まあ、…私も、美穂子と会うまでの時間、嫌いじゃないんだけど。」

この人は何時もこうだ。考えを見透かされた様な感覚。

「それはそうと―、今日は何の日でしょう?」

急な話の転換。これも毎回の事。

「…、ハロウィン、ですか?」

私の回答に満足したように、柔らかい笑みを浮べる上埜さん。

「正解。って事で――、トリック・オア・トリート。」

次いで子供のように表情を崩し、片方の手を、パーカーのポケットから私へ差し出す。この行事に関しては、しっかりと意識をしていた為、勿論用意は出来て居る。抜かりは無い。

「―はい、クッキーにしてみました。お口に合うと良いんですけど…。」

ラッピングを済ませたそれを鞄から取り出し、目の前の掌に乗せる。

「あは、有難う。…本当は悪戯の方が良かったんだけど…、美穂子の作る物は何でも美味しいから、これは凄く嬉しい。」

この人はこういう事を、割と本気で言って居るのが怖い所である。私は何時も振り回されて、返答に困らせられる。上埜さん曰く、そういう私の反応が楽しくて仕方が無いらしい。
そんな事を考えている間に、どこか不満気に尖らせていた唇が、弧を描くように薄く伸びる。

「―美穂子、実は私…、お菓子用意してないの。」

改まった様に発される言葉に疑問符が浮かぶ。私の認識するハロウィンは、相互でお菓子の交換をするのではなく、どちらか一方が、決まり文句に対してお菓子を渡す物。

「え…?上埜さんまで用意する必要は…、」

「でも、もしも貴女が先に、お菓子を要求してきた場合、私は美穂子に出すお菓子が無かった。」

言葉の途中に返されたそれは、妙に説得力が有る。同時に、凄く強引な気がする。―、それにしてもこの場合は、用意がされて居ないからと言って何かが有る訳でもない筈だ。私はあの言葉を発して居ないし、悪戯なんて出来る気がしないのだから。

「私は、お菓子が無くても、上埜さんと一緒に居れるだけで満足ですよ?」

「…美穂子。」

「はい…?」

「……お菓子が無いから、悪戯・して?」

「え、あの、…でも…。」

有無を言わせない、という空気。悪戯と言われても、一般的にどういう事を指すのかまでは把握して居ない。感じる視線から逃れる事も難しい。

「うう…、」

何かしらやるしか無い。距離を詰め、私よりも少し背の高い上埜さんを見上げる。緊張と気温が相俟って、身体が震えて居る気もするけれど、今更後には引けない。外気に触れて冷たくなった頬に、唇を寄せた、刹那。正面に受ける冷風が遮断される。代わりに、重なる部分の体感温度が上がる。

「もう、…ほんと可愛いなあ、美穂子は。」

更に寄せられる身体を、私も同じように包む。周りに人が居ないからこそ出来る事で、空気がすごく冷たいから、余計に安心感を増す行為。

「…でも、ごめんね。」

私の背面、見えない位置でごそごと手を動かしながら、耳元で、上埜さんの声が小さく響く。謝罪の意味を問う暇も無く、唇が触れた。

「上――ッ、ん…。」

瞬間、ふわりと漂った甘い香りが、味覚とリンクする。上埜さんから、口腔内に押しやられた――飴、だろうか。名残惜しくも離れていく唇を、薄く開かれた視界が追う。口の中に残る球体と、理解した謝罪の意味。顔が熱い。

「実は用意してたのよねー…市販だけど。」

「…ハッピーハロウィーン、美穂子。」

この時期だからこそのイラストで彩られた包装紙が、上埜さんから渡される。この人は本当に――。





「…上埜さんはずるいです。」


 
 
 
end.


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