天魔(エンビル)

□堕ちた過去
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ヴィリアは生まれもって魔力の高い天使だった。両親からは優秀な子として可愛がられ、愛を受け取り育ってもおかしくはない、美しい子どものはずだった。赤い目でなければ……。



天界のとある場所に、裕福な家庭があった。
その家庭の夫婦は、一人の女の子を授かった。その子供は可愛らしい顔立ちだった。その夫婦にとっては初めての子供、不安もあったが期待の方が強かった。
その赤子からは強力な魔力も感じられ、今後の成長が楽しみに思った。

そう、あの瞳を見るまでは…。

その子が目を開けた瞬間、女性は赤子を落とした。
赤子が泣きわめく中、母親は目を見開き、口をあんぐりと開け、脂汗をかき、呆然と立ち尽くしていた。

「あ、赤い…瞳…?!何で?私達の子が…何故なの…?!」

天使の瞳は、ほとんどが青色の瞳、そして緑色の瞳だ。赤い瞳は前例がなく、悪魔の瞳の色として知れ渡っていた。

女性の隣で、男性は赤子を指差した。

「これは…悪魔の子だ!!早く…捨てなさい!不吉なことが起こる前に」

「ダメよ、だって…、周りの評判が…」

男性はもう一度、赤子を見た。小さな天使の翼が背中から生え、角もしっぽもなく、瞳以外はまさしく天使だ。

「なら…、外に出す時は魔法で目の色を変えよう」

赤い瞳の幼き天使は、泣き続けた。それを止めるため、両親はその子を箱に入れて、泣き止むまで閉じ込めたのだった。


小さな赤子はお腹が空いたのか、物欲しげな表情で泣きわめく。

「やだ、いやだっ!!」

「母乳をあげないと、流石に死ぬぞ。アイツが死んだら…」

女性は仕方なく、赤子を抱き上げた。しかし、赤子の口が乳房に触れた瞬間、女性は赤子を手放してしまった。

「やっぱり無理よ…」

「…ミルクを哺乳瓶に入れておけば、勝手に飲むだろう」

子供はすくすくと育った。いや、生かされていた。何の異常もない子供を演出させられたのだ。

ある日、子供は体が机にぶつかってしまった。そのせいで、机の上の花瓶が倒れ、花瓶の水がじゅうたんにこぼれてしまった。子供は、その花瓶を用意した人を知っていた。母親だ。その母親がすぐに駆けつけた。子供は母親にしがみついた。

「ママ、ごめんなさい……」

子供の頬に強い平手打ちが音を立てた。

「何やってんのよ?!」

子供は何度も何度も、「ごめんなさい」と呟いた。しかし、母親からの平手打ちは止まらなかった。


ある日、子供は少しでもほめてもらおうと、両親が出かけている間に皿洗いをした。母親の見おう見真似だが、自分なりに綺麗にできたと満足していた。
皿を拭こうと手を伸ばしたが、手がすべり、皿が一つ割れてしまった。慌てて拾い上げた途端、小さな指に血がにじむ。それでも子供は、皿の欠片を拾った。怒られたくないからだ。皿の欠片は全て拾った後、ゴミ箱に入れた。

両親が帰宅した時、子供は早速二人に報告した。

「あのね、わたしね、洗ったよ!お皿、キレイに洗ったよ」

ほめ言葉が来る、そう信じていた。それとは裏腹に、怒号が子供を襲った。

「勝手に洗わないでって言ったでしょう?!アンタが洗った皿でなんて…、汚らわしくて食べ物も置けないわ!!」

母親は台所へと急いだ。ピカピカの皿が並ぶ。その皿を一枚ずつ床へ叩きつけた。それを止めようとヴィリアは近づいた。

「やめて!ママ、怪我しちゃう」

「近寄らないで!!」

一つの皿が子供に向かって投げつけられた。慌てて身を屈める。体は震え、涙が出た。しかし、号泣しては母親を困らせ怒られるのはわかっていた。何も言わず、ただ静かに涙を流した。


ある日、子供は窓の外を見ていた。笑顔で歩く親子を眺めていたのだ。

「行くわよ……」

母親に呼ばれた子供は頷き、母親についていった。

子供と母親は、買い物に行った。その際、母親の魔法により、子供の瞳は赤から青色に変えられている。
子供は外が好きだった。外で出かけている時が一番幸せだからだ。

「かわいい娘さんですね」

「そうでしょう?ヴィリア、あいさつしなさい」

子供は小声でこんにちは、と言った。

「ヴィリアはすごいんですよ。頭も良いし、魔力も高いし…」

そう、外でいる母親はとても優しいのだ。家の中に入ると何故か怖くなってしまう。だから、子供は家が嫌いだった。

家に戻った途端、母親は子供を投げ飛ばし、暗い部屋に閉じ込めた。

「いやだ、出して!お願い…!!」

「何よ、あのあいさつは…!そこで反省してなさい」

暗闇の中、泣き声だけが響いた。

この他にも、羽根をもがれ、暴力を振るわれ、髪を抜かれ、誰にも相手にされない。子供は悲しい日々を送った。


そんなある日のこと…。


この目がいけないの?この目が私を不幸にするの?こんな目…、いらない!

そう思った子供は、目の前にあった包丁を手に取る。

「キャーーッ!!?」

女性は腰が抜けてしまった。床に血が垂れる。子供は痛みも感じず、笑顔で母親にすがった。

「悪いもの、どっか行っちゃったよ。どっか行ったんだよ…」

「こ、来ないでっ!いや〜〜!!!」

女性は子供を払いのけた。子供は、女性の温かみにすがるようにゆっくりと近寄った。しかし、子供は冷たい平手打ちにあい、体が倒れる。

「…どうして?」

床に落ちていた包丁は宙に浮き、女性を狙い飛んでいく。女性の叫び声を頼りに、子供は女性を探り当てる。

「お母様なんて…嫌い!」

子供は包丁で母親を刺した。何回も何回も、赤い涙を流しながら、刺した、刺した、突き刺した。怒りと悲しみ、そして歪んだ愛情をこめて、刺し続けた。
ただ、愛する母親の顔は傷付けなかった。



「お母様…綺麗だね!フフフ…」

子供は化粧を施していた。女性の白いお肌に桃色のファンデーションをつけ、紫色の唇に真っ赤な口紅を塗っている。
そこへ、男性がやってきた。

「うわーっ?!」

男性は絶句の表情を浮かべた。愛する女性が、無惨な姿で横たわっているからだ。その横で、悪魔の子がにこやかに笑っている。

「お帰りなさい!…お母様、キレイでしょ?それからね、赤い目がどっか行っちゃったんだよ」

「ああ、あ、悪魔…。赤子の時に殺しておけばよかった…」

子供は立ち上がり、笑顔で男性に近寄った。

「近寄るなっ!化け物っ!!」

「お父さ…ま……?」

男性は子供の首を掴み、締め上げた。

「く…あ……と……さま……」

「殺してやる…!!」

グサッ、何かが男性の首に突き刺さる。包丁だ。複数の包丁が男性の体に切り掛かる。

「がっ?!」

男性の手の力は緩み、子供は苦しそうに咳込んだ。その目には殺意が宿る。

「お父様も……大嫌いっ!」

包丁の餌食となった父親は、恐怖の表情のまま、床へと転げ落ちた。




「今から、ヴィリア・ディアーンの処分を検討する!」

たくさんの天使達が集まって、何やら話し合っているようだ。しかし、子供にとっては理解しがたい内容だった。

「二人も殺したんだ!死刑に決まっている」

「しかし、まだ子供だぞ?」

「このまま悪魔の子を野放しにしておくというのか?!」

子供の隣に女性がしゃがみ込み、小さな手を包み込んだ。とても温かい。

「大丈夫よ、あなたを守ってあげるからね。これはお守り」

穏やかな笑顔のまま、女性は懐から、赤いリボンのカチューシャを取り出し、子供の頭につけた。

「あなたは親にひどいことされたんだよね。悪いのは親よ、あなたは悪くない」

「私は…悪くない?」

「大丈夫、大丈夫だから」

暖かい、とても暖かな温もりが子供の体を包み込んだ。




数日後、判決が下される日がやってきた。

「ヴィリア・ディアーンの罰は、堕天に決定した。これは女神様の下された判決だ。ただちに処せよ!」

どういうことだろう?子供は首を傾げていると、女性が抗議の声を上げた。

「そんな判決、ひどすぎるわ!死刑と同じよ、まだ子供なのに冥界で生きていけるとは…」

「黙れっ!もう決まったことだ」

「女神様が…本当にその判決をお決めになったの……?!」

その問いの答えは返ってこなかった。代わりに、険しく怖い表情をした天使が、じりじりと子供に近寄ってくる。

「おばさん…」

「走って!!」

女性は子供の腕を掴み、走り出した。子供は、言われた通りに足を進める。

たくさんの天使が追ってくる。それを背景に、子供と女性は走った。必死に走った。

「大丈夫、私がなんとかするから…ね?」

女性は魔法を繰り出した。子供は走るのに必死で、状況を把握できなかったが、これだけはわかった。この人は、私を守ってくれると。

後ろを少し振り向くと、追ってきていた天使の姿が見当たらない。

「まいたようね…。でも、まだ安心はできないよ。もう少し、頑張ろうね」

子供は頷いた。しかし、もともと体力がないためか、多量の汗をかき、口が渇き、疲労が足にたまり、少しずつ痛みへと変貌する。

はぁ、はぁ…、子供の息が荒くなる。

「頑張って、もうすぐ……」

一瞬、何かが光った。その一瞬の内に、女性は地面に倒れ込んでいた。

「おばさん…。おばさん?ねぇ、どうしたの?おばさん!」

子供は女性の体にすがった。どれだけ揺らしても、どれだけ強く呼びかけても反応がない。

「やっと見つけた」

「さぁ、冥界につれて行こう」

追ってきた天使は、子供の腕を強引に掴む。

「嫌だ、離して!!」

「黙れ!」

「おとなしくしろっ!この悪魔め!!」

子供は暴れ、泣き、叫んだ。

赤いリボンのついたカチューシャは地面に落ち、周りの天使に踏みにじられた。

「狂った悪魔め…」

それが、天使の最後の言葉だった。




冥界に一人、天使の女の子が泣きわめいていた。その翼は欠けている。

「何だ、天使か?」

「ケケ、天使なんてやっちまえ!」

天使の周りに汚らわしい悪魔が群がる。

「い…いやだ…」

女の子は足掻くも、悪魔に捕まってしまう。

周りの皆…、全員嫌いだ。

天使も、悪魔も、誰もかも……、そして、弱い自分も…大嫌いだ。

「いなくなってしまえ…!」

その通りになった。女の子の周りを囲む悪魔が骨と化し、いなくなったのだ。

死体は何も語ることはなかった。周りに佇む骸骨達は、嘘も真実もない、無の象徴だった。

「…………フフ」

女の子は笑った。冷たい笑いは、何の感情もこもってはいない。ただの無感情な笑いが周りに響き渡った。

女の子の周りに魂が漂う。その中で、女の子は歌った。悲しげな声色は、どこか不気味さを宿していた。




私はどうすればいいの
羽根をもがれた 哀れな鳥は
空も自由に 羽ばたけず
一人で 地に伏せている

手を差し伸べる者はなし


私はどうすればいいの
心をなくした 惨めな鳥は
誰にも愛されることなく
闇の中で さまようよ

なくし物は どこにもない


私はどうすればいいの
帰る場のない 悲しい鳥は
永久に続く道を歩み
やがて体は 朽ちてゆく

魂の逝く末を 知る者はいない


天使にも悪魔にもなれない鳥

一体 私はどうすればいいの





女の子は、子供は、ヴィリアはこの時、決めたのだ。

誰もいらない、誰も信じない、私は一人で生きていく。
周りの全てを蹴落としながら、生きていくんだ。


堕ちた天使に、光なんていらないのだから……。




補足
天使の身体は怪我をしてもすぐに治る。だから、ヴィリアは盲目ではない。

天使は基本的に死なない。ただし、首をはねられたり、治癒能力が追いつかないほどの大怪我をしたりしたら、死ぬ(身体がばらばらになる、身体が真っ二つになるなど)。

精神的に追い詰められて、心が死ぬこともある。

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