天魔(エンビル)
□崩れゆく思い
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ヴィリアはネルとの約束通り、リヴを連れて天界にやって来た。
「リヴ、楽しみね」
「うん…」
リヴは笑顔で返事をしたが、少し乗り気ではなさそうだ。ヴィリアは冷ややかな笑みを見せた。
ネルは家で料理を作っていた。ジェルの大好きな野菜たっぷりクリームシチューと桃のプチケーキだ。
レシピを見ながら、せっせと頑張っていた。
「シチューは煮るだけ、次はケーキ…」
お世話になっているジェルに、お礼として作っているのだ。
窓からその様子を見ていたリヴは、良いいたずらを思い付く。
「あの料理を勝手に食べちゃえばどう?ネル、きっとがっかりするわ!」
「いいえ、そんなのじゃダメ。それよりも良い方法がある。
準備するから、リヴはネルを監視してて」
「わかったわ」
ヴィリアはどこかへ飛び去った。
リヴは内心、今すぐいたずらしたい気分だった。ヴィリアの思い付く方法は確実に成功するが、どこかまどろっこしいし、面倒臭いことが多い。
「ごめんだけど、アタイって単独が好きなのよねぇ」
リヴは勝手にネルの家に入り込んだ。
「リヴちゃん!いらっしゃいです」
「おいしそうな匂い!シチューかしら?いただきま〜っす」
ネルの許可も得ず、リヴはキッチンにあるクリームシチューが入った鍋を取り上げた。
「全部いただきっ!」
「どうぞですぅ」
リヴはずっこけた。
「ア、アンタ、これ…誰かのために作ってたんじゃないの?」
「ジェルに感謝の意を込めて作ったのです。でも、リヴちゃんお腹空いてるようですから、あげるです」
リヴはネルを唖然と見つめた。
「…本当に良いの?せっかく作ったのに」
「また作れば良いです」
リヴは敗北感を感じた。
「たいしてお腹空いてるわけじゃないの。返すわ…」
リヴは元の位置に鍋を戻した。
「せっかくいらっしゃったのです。食べて帰るです」
ネルはシチューを皿に注ぎ、スプーンと一緒にリヴに渡した。
「もうすぐケーキができますから、テーブルへどうぞです!」
ネルはテーブルへ案内し、リヴに座らせた。
何故こうなるのかしら、そう思いながらシチューを一口飲んだ。
「…全く味気がない。なんか野菜のエキスだけって感じ。味付けしたの?」
ネルは鍋のシチューを味見する。
「ジェルは薄い味の方が好みなので、塩とコショウを少しだけ入れたんですけど…、薄いですね」
「すごく薄いわよっ!たく、もう…」
リヴはネルに呆れるも、どこか楽しそうだ。
「やっぱり…、リヴの様子が変だと思っていたら」
ヴィリアは、いたずらの準備を中止して、ネル達の様子を窓から覗いていた。
ヴィリアは家の戸に近付き、ノックする。
「はい!開いてますから、どうぞお入り下さい、なのです」
「お邪魔します」
リヴはヴィリアの姿を見て、焦りと悪寒を感じた。そうとは知らず、ネルはヴィリアを歓迎した。
「ヴィリアちゃん!いらっしゃいです!!」
「リヴちゃんと一緒に行こうと思っていたんだけど、ちょっと遅れてしまいました。ごめんなさい」
「いえいえ、さあ、座って下さいです」
ネルはリヴの隣に椅子を用意した。
「ありがとうございます」
「クリームシチュー、作ったのでどうぞです!」
ネルは皿にシチューを注ぎ、スプーンを添え、ヴィリアの目の前に置く。
「おいしそう…。いただきます」
ヴィリアは行儀良く、シチューをすすった。
「へぇ…、薄い味が好みなんですね」
「やはり薄いです?味付けし直すですぅ」
キッチンへ向かったネルは、せっせと料理を進めていた。その間、ヴィリアはリヴを横目に見てせせら笑う。
「バカな天使に影響される情けない悪魔…」
「うっさいわね…。で?準備終わったの?」
ヴィリアは不機嫌な顔でため息をつく。
「せっかく、ジェルっていう妖精を操って、ネルを傷つけようと思っていたのに…。リヴのせいで台なし」
「はぁ?アタイを放っておいて、勝手に進めれば良かったじゃない!
…っていうかさ、どうしてネルが妖精のために作っているの知ってるの?」
ヴィリアはネルの様子を伺いながら、小声で言う。
「勝手に進めるとばれる可能性があった。そんなことにも気付かないの?」
リヴは苛立ちを覚えたが、それを尻目にヴィリアは話を続ける。
「妖精については心を読んだの。かなり高等な魔法だし、相手が心を閉ざしていたら、全く読めないけどね」
もしやアタイも心を読まれているのでは?と冷や汗をかくリヴだった。
「出来上がりました、なのです!」
ネルは温かいクリームシチューと作り立てのプチケーキ、そして香りの良い紅茶を二人に差し出した。
「どうぞ召し上がれ、なのですぅ!」
リヴもヴィリアも、まずシチューをいただいた。
「さっきのよりはマシになってるけど…まずいわ」
「そうかしら?わたしはおいしいと思います」
ネルは笑顔になった。
続いて、二人はケーキをいただいた。
「これはまあまあね」
「とても甘くておいしいです!」
「気に入ってもらえて、よかったです!」
ネルは満面の笑みを見せた。
そこへ、ちょうどジェルが帰ってきた。
「ネル様、ただいま戻り…ま……?ああっ!」
「あっ、お帰りなさいですぅ!」
ジェルはリヴとヴィリアを見た途端、警戒した。
「ここはネル様の家だぞ!今すぐ出て行け」
「ジェル!!お客様に失礼です、謝るですっ!」
「アタイ達、ネルに招き入れてもらったのよ?文句あんの?」
ジェルは黙った。主人であるネルには逆らえない。
「…失礼しました。でも、ネル様に危害を加えたら、容赦しませんよ!」
ジェルは二人を横目に見て、ネルの元へやってきた。
「ネル様、何を作っていらっしゃるのですか?」
「ジェルの大好物なのです!
今まで、そしてこれからも、お世話になりますです。その感謝の意を込めて作ったのです!
どうぞ召し上がれ、なのです」
ネルは皿にスプーンを添えてからシチューを入れ、ジェルに渡した。
「ネル様…、ありがとうございます!!」
よほど嬉しかったのだろう、ジェルの目は少し潤んでいる。
「ケーキもあるので、準備できたら持って行きます、なのです!」
ジェルは嬉しそうな笑顔でテーブルに座った。ただし、二人への警戒は解いていない。
おいしそうに食べるジェルと嬉しそうに準備するネルを見て、リヴはつまらなかった。二人の困った顔が見たいのだ。
ヴィリアの様子は、ゆっくりと丁寧に食事を楽しんでいる。行動を起こしそうにない。
アタイがいたずらしないで、誰がやるの?
リヴはシチューとケーキを早々に平らげ、皿を持ち、立ち上がった。
「ごちそうさま。皿はどうしたらいいかしら?」
「置いてて大丈夫です!後でネルが…」
「悪魔でもきちんと礼をしたいの。持っていくわ」
リヴはキッチンへと向かった。
「ありがとうございます、なのです!後はネルが持っていくのです」
「そう?じゃ、これ…」
リヴはにやけた。
「イッツアショータイム!デビュラデビュララッ!!」
リヴの魔法で、周りにある食器が踊り出した。四方八方に飛ぶ食器に、ネルは当たりそうになる。
「リヴちゃん、危ないですっ!」
「楽しいでしょ?みんなで踊りましょうよ」
ジェルは血相を変え、リヴの目の前にやって来た。
「やっぱり悪魔は悪魔だ!僕は容赦しないぞ」
「ジェル、やめるのです!」
「妖精ごときにアタイを止められるの?」
リヴとジェルが睨み合う中、ネルは気付いた。今、ヴィリアは無防備であることを。
ヴィリアは、困った表情を浮かべていた。そんなヴィリアに、尖ったフォークが迫り来る。
「ヴィリアちゃん、危ないのですっ!!」
ネルは慌ててヴィリアの元へ行き、ヴィリアを守るように抱き着いた。
フォークはネルの腕に突き刺さった。
「っ!!ヴィリアちゃん、だ、大丈夫です?」
「…何故?」
ネルは頭上にはてなを浮かべ、首を傾げた。
「何故、自分が傷ついてまで…私を助けるの?」
「だって、大好きなお友達ですから!」
「そう…」
ヴィリアは、心の中で嘲笑っていた。本当にバカな天使、その大好きな友達に裏切られるとも知らずに。
「ネルはリヴちゃんを止めますから、ヴィリアちゃんは家の外へ避難して下さい、なのです」
「わかりました」
ヴィリアは一旦外に出て、窓から様子を伺った。ネルはリヴとジェルの間に入り、説得を試みているようだ。
「ジェル…か、使えそうね」
ヴィリアは神経を集中させ、ジェルを睨んだ。
「………」
「ジェル、どうしましたです?」
ジェルはネルの方に向き、険しい表情になった。
「何もかもネル様のせいですよ。僕が警告するのも聞かないで、悪魔なんかを信用するからこうなるんです…」
「でも…ジェル…」
「言い訳なんて聞きたくない!もう…ネル様なんて知らない!!」
ジェルは窓から勢い良く出て行ってしまった。
「あら?仲間割れ?…で、どうするの?アタイ、まだまだ踊りたいわ」
リヴは食器を操り、窓ガラスや他の食器、綺麗な壁を傷つけた。
ネルは俯いたまま動かない。
「どうしたの?さっきみたいに説得してみなさいよ。止めて下さいですってさ!じゃないと…」
食器の一つがネルに向かって飛んでいく。
「アンタが傷つくだけっ!!」
ネルに食器が当たりそうになったその時、その食器は弾かれた。
「ネルが…わたしが…悪い…?」
ネルは急に大泣きし始めた。
「わたしはリヴちゃんが好きだから、友達だから家に入れただけなのに…、ジェルの気持ちもわかるけど、でも…でも…!
悪魔でも誰でも、信じたいの、わたしは…だって……」
ネルは泣き崩れてしまった。
「…なんか…よくわかんないけど、妖精の言葉の矢に刺さったのね」
リヴは魔法を取りやめ、ネルの傷ついた身体を見た。
「なんでアタイをそんなに信じるの?意味不明なんだけど」
ネルは涙をこする。
「友達…だから…です」
「そこがわかんないの!
魔法でアンタをいじめるアタイが、嫌いじゃないの?妖精にあんなこと言われて悔しくないの?
自分がケガしてるのに、なんで人を守れるの?」
「みんな大好き、みんな信じてる…から。」
リヴにとって、答えになっていなかった。
「なんか少し疲れた。またね、泣き虫ネルちゃん」
ネルは頷いた。そのまま黙り込んでいる。
「………」
リヴも黙ったまま、静かに出て行った。
「リヴ」
急に呼びかけられて驚いたリヴは、声のした方に振り返る。そこには、ヴィリアが無表情で立っていた。
「もっといじめればよかったのに…」
「気分が乗らなかったの。…何持ってんの?」
ヴィリアは持っていた鳥かごを見せた。中にはジェルが眠っている。
「アンタ…、まさか…」
「そう、そのまさか。ジェルを操って、ネルの心を傷つけたのは私…」
「…で?そいつどうするの?」
「しばらく預かっておくの」
ヴィリアは、どこかへ飛び去った。
リヴはネルの家を見上げる。
夕暮れ、ネルは片付けもせず、椅子に座って俯いていた。充血した目から、一滴の涙が流れる。
「ジェルも…パパもママも、帰ってこない…のかな…?」
チリン…。鈴の音が聞こえる。開いた窓から、鈴の首輪をした猫が現れた。
勝手に家の中に入り、周りの様子を伺っている。
壁や床の傷跡がまだ残り、落ちた食器の破片もそのままだった。
猫は破片を華麗に避け、ネルに近づき甘えた。
「…?ネコちゃん、どうしましたです?お腹が空いてるのです?」
猫はネルの膝の上に飛び上がり、ネルに体をすりつけた。
「このリビングは危ないですから、ネルの部屋に行きましょう、なのです」
ネルは猫を抱き上げ、二階へ上がった。
ネルの部屋は綺麗に片付いていて、本棚には魔法書がぎっしりと置いている。漫画や雑誌などは見られない。遊びの道具は、着せ替え人形が数個あるのみだった。
「ネコちゃん、………。…聞いてくれますです?」
猫は静かにネルの目を見つめた。
「ネル、魔法でドジばかり踏んでるんです。そんな時、同じ見習い天使が転んでケガをした時があって、治そうと魔法を使おうとしたです。その子に言われました、なのです…。またドジするんでしょ、私に魔法かけないで!と」
ネルは俯いた。
「ネル、回復魔法は上手なのに…、その子はネルを信じてくれなかったのです。その時、とても悲しくなったのです…。ネルは、そんな気持ちを知ったから、人を信じることにしたのです」
猫は首を傾げた。
「ネルはみんなを信じたい、疑われることで人を傷つけたくない、騙されて自分が傷つく方がマシ…!それをジェルは知ってるのに…どうして?」
猫は口を大きく開け、あくびした。
「ネル…、悲しいのです…」
ネルは猫に抱き着いた。
月もなくただ星が光る夜、ネルは猫を外に出した。
「自分の家に帰るです。主人が待っています、なのです」
猫はそそくさとどこかへ行ってしまった。
猫は鈴をチリンチリンと鳴らした。その途端、背中にこうもりのような羽根を生やした。そして、四足歩行から二足歩行になり、しっぽが尖り、やがて悪魔の姿に変わっていく。
「…悩みのない子だと思ってたけど、案外違うものなのね」
リヴは冥界へ帰っていく。
「おい、リヴ!おいって!」
「リヴ様?」
ディブとベルがリヴに呼びかけても、応答がない。
「リヴのやつ、どうしたんだ?帰ってきてから、様子がおかしいぜ…」
「アタシに聞かれても…。とにかく、リヴ様が反応するまで待つしかないわね…」
リヴは黙り込んだままだった。
やがてリヴは、自分の部屋のベッドの上に仰向けに寝た。
「人を疑わない、信じる心…か。アタイは…誰か信じてるのかな?」
リヴは静かに目を閉じた。そして、寝言のように呟いた。
「ごめん……ありがとう……、ネル」
次の話→究極の選択!