ヒカルの光

□十八章
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「人間、待って!」

グサッ…!



ヒカルは動きを止めた。そして、目を見開き、口角をひきつらせながら、ゆっくりと目線を自分の腹に向けた。

信じられなかった。自分の横腹に黒い刃が突き刺さっているという事実を。
さらに理解できなかったのが、刺さったという感覚はなく、自分の横腹から生えてきたように見えたことだ。現に、自分から突き出ている刃には、全体的に真っ赤な血液が付着している。

そう、怪我を負ったのはナターシュではなく、ヒカルの方であった。

ヒカルの表情は苦悶と驚き、そして恐怖の色へと染まった。だんだんとあらわとなる激痛に膝をつき、手に持っていた剣を地面に落とす。頭の中は混乱に陥っていた。

「何か裏があるとは思っていたが……無謀な作戦だったな」

ヒカルの作戦はこうだった。

ナターシュは、動体視力を以てじゃんけんに勝利することはわかっていた。
ボクサーやスポーツ選手が勝つために動体視力を磨くように、戦いの中に生きる悪魔も動体視力が優れていると確信していたからだ。一番の確信は、リヴの言葉にあった。

「人間なんて、まるで亀だわ」

そう、リヴは動体視力が優れているからそう言えるし、実際攻撃を避けられた。
先程、ナターシュとリヴの戦いで、ナターシュはリヴを圧倒していた。それは、リヴの動きが見えるからだ。だから、ナターシュはリヴよりも優れた動体視力を持っていることになる。

動体視力の弱点は、集中して見なければならないこと。さらに、じゃんけんは後出しが許されないため、出すタイミングも注意が必要だ。それにより、リヴの奇襲に気づかせるを遅らせた。
そして、魔法の使用を禁じているため、リヴがナターシュの左腕を封じていれば、確実にナターシュへ致命傷を与えられる。

そう思っていた、確信を持っていたのだが…。

「な…んで……?」

「何故貴様の体から刃が生えてきたか、疑問に思っているのか…?答えはごく単純、そう仕組んでいたからだ。貴様、黒い刃の攻撃を受けたな?その時だ。あらかじめ仕組んでおけば、堕天使に気付かれぬ」

ナターシュはヒカルを冷淡な目で睨みつけ、無気味な笑顔を見せた。その時、刃が抜かれた。
ヒカルは悲鳴を上げ、地面に倒れ伏す。横腹からドクドクと流れる血を手で押さえても、止まる様子を見せない。

この時、ヒカルは改めて恐怖した。死んでしまうのでは…?

刃はそのまま浮遊し、刃先がヒカルの首元へと迫る。

「ヒカルっ!…くそ、テメェ」

リヴは一旦後退し、槍を構え直した。そして、ナターシュを狙い突いた。ナターシュは槍を横に避け、槍を掴んだ。

「この人間の命は、我輩が握っている。貴様の行動次第では、刃で人間の首を落とすことになるぞ?」

「くっ……」

リヴは歯を食いしばり、渋々槍を掴む力を緩める。

「ヒカル君っ?!」

ネルは慌てた様子でヒカルの元にやってきた。

「天使の小娘、鍵を渡せ。さもなくば……わかるな?」

ネルはペンダントを握り締めた。ヒカルは出せるだけの声を張り上げた。

「ネル、…ダメだ!渡し…たら、ダメ……だよ!!」

「ネルちゃん、人間の言う通り。渡してはいけない…。どっちにしろ、あの悪魔は人間を殺すつもりだわ」

ネルの目に涙が溜まる。

「ネルは…ヒカル君を見捨てるなんてできないです!」

リヴは大声で叫んだ。

「ネル、ダメよ!渡しちゃダメ!!」

ネルの目に溜まっていた涙が流れた。

「……でも、…でも…!」

「待てよ、ネル!」

ネルの横にシャンドが立った。表情は笑顔だ。その笑顔を見た時、ネルは大きな胸騒ぎに襲われた。以前にも感じた胸騒ぎと、全く同じものだった。

「…ありがとう」

シャンドのその言葉は、ネルの心に響いた。




ヒカルは正直に言うと、泣きたい思いだった。こんな所で死にたくない、死んでも死にきれない思いだった。しかし、ヴィリアと全く同じ意見であるのも確かだ。
主人公が死ぬという最悪のバッドエンドは気に食わないが、ヒカルは心の隅で自分の死を見つめた。横腹から流れる生暖かい血が流れるのを感じながら、死を覚悟した。

「ふっ、良かろう。渡さぬならば、人間の命を貰うのみ!」

ヒカルは目をつむった。自分のあっけない死を待つだけ…。

「っ?!!」

突然のことだった。本当に突然の出来事だった。

ヒカルは勝手に体が動いたと思ったら、体全体、特に地面とくっついていた面に衝撃を食らった。
手元には地面に落としたはずの剣がある。

ヒカルは混乱に陥った。何がどうなってるんだ?!

ふと顔を上げると、自分の血液がついた刃に首元を突きつけられている者がいた。それは……。

「……シャンド?!」

先程まで自分が置かれていた状況と似ている。ただ違うのは、シャンドの様子だ。悲しむ様子もなく、恐怖する様子もなく、刃に首を預けているように見える。

「あばよ」

シャンドはヒカルに顔を向け、笑顔でそう言った。その笑顔は、爽やかで晴れ晴れとした、良い笑顔だった。

その笑顔は、刃のせいで転がり落ちた。

ヒカルは動けなかった。何も考えられなかった。痛みでさえ受容できなかった。ただただ、宙に舞う影の欠片を呆然と見ることしかできなかった。ネルの悲しい叫びが遠くの方で聞こえる気がする。
漂う影はバラバラに散っていく。僅かな望みも叶わず、消え去っていく。再びくっつくことなく、影は虚しさだけを残し、完全に消えた。
ヒカルは自分の足元を見た。失っていた自分の影がうっすらと伸びていた。影はヒカルの動きに合わせ、動くのみだった。ヒカルは、自分の影に触れた。

自然に、ごく自然に涙が出た。出始めた涙は止まることを知らない。体に走る痛みを忘れる程の悲しみに、ヒカルは襲われた。ヒカルの悲しみ、シャンドの悲しみ、その二人の無念な気持ちが、涙の雫となって流れ出る。

「雑魚一匹仕留めただけ…か」

ナターシュは舌打ちする。

「……雑魚だと?」

ヒカルはふらつきながらも、立ち上がった。その手には剣が握られている。

ナターシュはヒカルを見るやいなや、笑い始めた。ヒカルをさげすみ、馬鹿にするような笑いだ。

「人間とはわからぬ生き物だな。何を泣いているのだ?ククク、実に滑稽で無様な…」

ヒカルは剣を構えた。涙はまだ止まってはいない。しかし、その表情は怒りに染まっていた。

「…許せない。絶対にお前は……、許せない!!」

ヒカルはナターシュに向かって走り出した。ナターシュの口元が吊り上がる。

「たてつく輩は消すのみだ!」

ナターシュは魔法を繰り出した。複数の黒い刃がヒカルに襲いかかる。




「ヒカル君が…危ないのです!」

ヒカルの元へ行こうとするネルをヴィリアは止めた。

「人間は大丈夫。きっと…悪魔を打ち負かすわ。その邪魔をしてはいけない」

「で、でも……!」

ヴィリアはネルに笑顔を見せた。

「信じましょう。人間を…、ヒカルを…!」

ネルはヴィリアの笑顔を見つめた後、真剣な表情で頷いた。




黒い刃がヒカルの体を切り刻む。ヒカルの腕、腹、胸、さらには耳、頬、あらゆる箇所に傷ができる。しかし、ヒカルは走り続けた。
苦しい、痛い、恐い、逃げたい、そんな思いがよぎる。痛みのせいで体がふらつく。それでも、ヒカルは足を止めなかった。

脚に刃が突き刺さった。ヒカルは顔をゆがめた。足が動かなくなっても仕方のない状況だ。しかし、足は止まらなかった。いや、止めたくなかった。シャンドの笑顔が頭によぎる。その笑顔を壊された怒りが、今のヒカルを動かしているのだ。

「フ…、臆さないその勇気は認めてやろう。しかし、その勇気も無謀に変わる!」

大きな刃がヒカルに迫る。あれを食らえば、死んでしまうだろう。それでも、ヒカルは止まらなかった。刃に向かって走った。

自分の剣で、自分の魔力で、あの大きな刃をしりぞけられるかわからない。しかし、ヒカルは剣を振ることにした。ほぼ直感だが、剣を振れば道が開ける気がした。

「立ち向かう勇気を忘れないで下さい、なのです」

ネルの言葉が頭をよぎる。この勇気が無謀に変わるかは、全くわからない。ヒカルは自分の剣に全てを賭けることにした。
シャンドの思い、ヒカルの思いを乗せ、ヒカルの剣は輝きを放つ。ヒカルは、ここぞとばかりに剣を思い切り振った。

「っ?!」

ナターシュは目の前の状況を信じることができなかった。
ヒカルが放った光の刃が、漆黒の刃を切り裂いたのだ。そのままの勢いで、光の刃はナターシュに迫った。
ナターシュは爪に闇を宿し、光の刃を引き裂いた。引き裂かれた光の刃は、小さな刃となり、ナターシュの左腕を切り刻んだ。

ナターシュとヒカルの距離は近い。向かってくるヒカルを、ナターシュは怒りの形相で睨みつけた。そして、血まみれの腕を突き出す。

「死にやがれ、猿が!」

「お前を殺すまで、僕は…死ねない!」

ヒカルは腕を避けるため、体を左に傾けた。しかし、避けきることができず、右肩をやられてしまう。バランスを大きく崩したが、踏ん張った。ここで転倒しては駄目だ!痛がっても負けだ!
ヒカルは自分の持つ全ての力を剣に捧げた。

グサッ!ザシュッ…

肉の切れる音が二つ鳴る。

一つは、ヒカルの首、肩から胸にかけてできたひっかき傷にあった。特に肩から胸にかけてできた傷は深く、横に倒れるヒカルの体を血が伝う。
ヒカルの息が荒くなる。大量の疲れが汗として吹き出る。激痛がヒカルを苦しめる。

「く……、貴様っ!!」

ナターシュの口から血が滴る。

もう一つの音は、ナターシュの腹に突き刺さる剣にあった。かなり深くまで突き刺さっているその剣から、ポタポタと血が垂れている。

「……ガハッ!」

ナターシュは血を吐き、膝をついた。ヒカルの剣はなおも光り続け、その光はナターシュの動きをむしばむ。


ヒカルは立ち上がろうと踏ん張った。しかし、体中に痛みが走る。これ以上動きたくないと、悲鳴を上げる。しかし、ゆっくりと立ち上がった。その表情は冷たい怒りで染まっていた。

「まだ、だ…。殺して…やる!」

フラフラとおぼつかない足取りで歩くヒカルの背中に抱きつく者がいた。悲しげな温かみがヒカルの背中を包む。

「ダメなのです!殺しちゃうと…ヒカル君は……壊れちゃうのです!」

「うるさい!!」

ヒカルはネルを払いのけた。ネルは倒れるも、すぐに立ち上がった。

「復讐は…悲しみと後悔しか生み出さないです」

「あんな…、あんな残虐な…悪魔に……ネルは怒りを…感じない…のか?ネルは、許せるって言うのか?!!」

ネルは真剣な表情だった。

「ナターシュさんの行動は、許されるべきではないです。怒りも感じますです。でも、殺しは絶対にダメなのです!それに……」

ネルは涙を流した。流れた涙は、止まることはなかった。

「殺しをして壊れたヒカル君を見るのは…、絶対に嫌なのです!!」

ヒカルは立ち尽くしたまま、俯いた。

「…ネルが言ってること…わかる、わかるんだ!…でも」

ヒカルの目から、大粒の涙が溢れた。

「アイツへの…怒りが抑えらんないよ!!あんな、あんな悪魔なんて……!」

ヒカルは膝をつき、硬い土を拳で何度も何度も叩いた。

「死んで…しまえばいいんだ!!!」

ヒカルが号泣する姿を、ネルは側で見ることしかできなかった。




ナターシュは腹に突き刺さる剣をゆっくり抜いた。腹からはドクドクと血が溢れ出る。

ヒカルの剣により受けた光の呪縛のせいで、ナターシュは思うように体を動かせなくなってしまった。そのため、ナターシュは掴む剣を落とす。
剣を落とした音を聞いたヒカルは、ナターシュの方に振り向いた。

「人間ごときが、ここまでやるとは…想定外だった」

ナターシュは大きな翼を広げ、その翼を羽ばたかせた。突風がヒカル達を襲う。

「うわっ!」

ヒカルは腕で顔を守り、吹き飛ばされないよう体制を低くした。

「……ククク」

ヒカルは、ナターシュが不気味に笑うのを目撃した。しかし、その瞳には憤怒の色がうかがえる。憎しみを込め睨みつけてくるナターシュに、ヒカルは悪寒を覚えた。

ナターシュの姿は、闇の中に消えた。

ナターシュ・ディルォック…、ヒカルはその姿を頭に焼きつけた。



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