01/05の日記

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紫式部日記7
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超高速読書感想文を開始しなければならなくなったマヌケを笑えよ!!!
って状態ですが、やるしかないのでやっていきます!!!

31五十日でお祝いってことは毎日数えてたんだよな
少輔の乳母に禁色が許される。これは公けの行事ではないのでは?
というかここどこ……彰子は御産で土御門邸に帰ってきてただけだっけ?内裏?里内裏?
女性の禁色は漸次解禁式ということかな?多分男性はある程度決まってるよね?
「女房、二重三重づつゐわたされたり」→出衣では?
割といろんなところを見ているのだが、紫式部はどういう視点で見てたんだろう?
「あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらふ。」とうかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、→「若紫」を『源氏物語』作者の紫式部に云々。もうこの段階では「若紫」は流布していたとできる。

32宴会の惨状は今も昔も変わらず
当時はすぐに歌を詠んだんだなというのはよくわかる。
でも無茶ぶり感はあるので現代の宴会で「なんか芸をしろ!」って言われるのと同じ感じ。この無茶ぶりを切り抜けました!というドヤなんだろうなと感じてしまう。
しかし、『紫式部日記』を読む限り道長はなかなかに爺バカ。

33やっぱり五十日の祝は土御門邸じゃん!
「内裏に心もとなくおぼしめす」→還御の日が帝にとって心待ちにする
局に置いてあった本が勝手に入ってきた道長によって紛失したことを悲しがっている→プライバシーはない。が、これ主家礼讃ならば「他者の目」が入ることを前提としていうはずなのに他者批判にもなりそうなそんなこと書く?
ここでの御冊子を『源氏物語』と古来からしているらしいが、公式に上げられた本は和歌集らしいので、早計ではないか?
持ち帰るのが普通ではなかったのか?そうであるならば、『源氏物語』作者がここにいること、それ自体がステイタス扱いにされたということなの?

34休暇に上限はない模様、しかし催促は来る
実家に帰っている紫式部の述懐。よくわからない。
人付き合いを求めているけど、「どうせ私のことなんか誰も分かんないし!」みたいな感じは受ける。
道長から直接に手紙を貰うような有能さの誇示なんだろうな、と朝芽なんかは思うのだが、このあたりが「男女の仲」と読まれてきたんだろうとも思う。実際、どっちなんだろうね。当時の感覚はわからないけど、それを書くことがステータスになるならば書くだろうし。「紫式部は女性だから男性社会である宮中政治について詳しいはずがない」というのが歴史学でよく言われる奴だけど、「女性社会においての機微はどれだけ男性が想定したところで分かるはずがない」となってしまうのではないだろうか?というのもちょっと思う。
ここ本当にわからないので後日又読み直すべき。

35二週間くらい休み貰ってたのか?
彰子の還御は11月17日。五十日の祝は11月1日。紫式部の述懐がこの間に挟まったのは意図的なの?前にも日時が錯綜してた所あったけど、そういうやつ?それともマジでこの二週間弱の間に道長から「早く帰ってこい」って手紙を貰うくらいの休みを貰ってたの?二週間だよ?!
この当時の「綿入れ」って何を入れてたの?木綿は室町時代の伝来だよ。麻か楮かやはり絹?芭蕉布とか蔦とか茨とかもないわけではないらしいけど、お貴族様が着るか?
しかし、紫式部の所によく人来るな……

36物語の御冊子の詳細ココだー!
とおもったが、これは道長からの御冊子だ。本を持たせることがすごかったことの現れと捉えるべきなのかな?
「表紙は羅」とあるから、表紙がそもそも布。現代我々が見ている紙の表紙と布の評し、どっちの方が当時は贅沢品であったのか?

よっしゃー!!!!上巻おわり!!!
黒川家旧蔵本『紫日記』がこの区切りになってるらしい。今売ってるやつは一冊にまとまってるから関係ないけど、何でこの薄さで上下なのかの謎が解けた。
著者が二冊にした方が金になるからとか邪推してたよ……ごめんなさい。

五個ずつだったのが既にズレたけど、ここからは時間の勝負だからね!!読めるだけ読んでいきます!!なお、下巻は60までだからあと24です!!
ここから下巻。

37ここがかの有名な「舞姫は顔が見られて」云々のところ!!
舞姫は通常公卿から二人、受領から二人。大嘗会の年は公卿から三人。
ここで名前が出されてるのは三人。うち二人が受領で、もう一人の公卿は誰が出したのだろうか?
介添え役の女房が「錦の唐衣」を着用してるが、『漢書』の記述かららしいとのことで、本当に着てたのか?って気持ちになる。

38こっちが本当に舞姫が云々の所か?
五節の舞姫は、殿上の淵酔という寅の日に天皇の前で舞う。=御前の試み
摺れる衣→神事の時に着用する青摺りの衣/まだこの日はその姿が見えない
ということはこの日はまだ神事ではないのでは?と逆説的に考えてしまうがそう言うことではないだろうな。
尾張の守の→藤原中清の出した舞姫(前段にもいる)
前段に「人の上とのみおぼえず」とあるから、ある程度は舞姫と自分のことを同一視していたとは思うが、感情移入程度であってそこまで同一視していたとは考えにくい気がするけどな……

39どうしてそこまで舞姫たちへ同一視的な同情心を抱いているのか
全く分からなくて困る。
あくまでも、紫式部は人前に姿を現すことはいやなことである、と認識していると捉える以上の事はできないとは思う。しかし、ある意味でここまでに通底しているのは、自虐とか謙遜に見せかけた「自慢」がちらほらとあるということ。そのような状況で、彼女が「辛い」と述懐だけはそれが本心と読むのもある種の恣意的さにも思えてしまう。
藤宰相の童女だけ赤い唐衣を着用してる。下仕えは青。そもそも舞姫は赤ではあるが、他の童女たちは何色着てたの?

40舞姫の介添は内裏女房からすれば身を落とす立場
童女には同情的なのに内裏女房から介添に身を落とした(?)人に対してはからかってやろうというその感情が分からない。
解説には「所詮は女房」として、彰子の最大のライバルとなりそうな弘徽殿の女御義子(侍従の宰相藤原実成の同腹、父は公季)についていた人物へのライバル心、我が主たる彰子への忠誠心がなしたこと、という。が、紫式部が向かう先としては左京の馬だと思うんだよな……それに対しては特に何も考えてないから、個人的には童女に対しての同情心自体もなんとなく懐疑的になってしまうんだよな。

41五節の思い出
巳の日の音楽が楽しかった、と他の日はそんなではなかったと言っている。ならその日の詳細を書けよ。
高松→道長の妻・源明子のこと。高松の上。
腹違いの子供たちもここに入ることが許されたのではとのこと。

きっつい!!!限界!!!
この書き方&読み方結構時間と集中力が持っていかれる!!!
明日18章段読めるか?!
朝芽の『紫式部日記』RTAは成功するのか?!お楽しみに????
カテゴリ: 紫式部日記

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