12/03の日記

02:36
紫式部日記6
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お久しぶりです。
誰だ、毎日日記更新したいなー!!とか言ってたの。みたいな状態ですね。
前回九月ってマジですか?
すぐにやる気を失うし、すぐに大したことのないことで落ち込みます。馬鹿だなーって。
さて、来年の大河が始まるまでにこの読むぜシリーズは終わるのでしょうか?
大変不安ですが、まあ、やっていくしかないので久々に読むぞー!!!


26竜頭鷁首の船をどうやって土御門まで運び入れたのかが気になる
行幸辰の刻(午前八時)って結構早くない?十月だから日が暮れるのも早いから早くに出るの?でも日が昇るのも遅いよ?
西と東で準備の忙しさとかにも相当差がありそうなの面白い。
西では衣装を念入りに準備させてるのに、東ではのんびり日記会てられる感じ(その場で書いているかはわからない)
どうせ時間通りになんか来ないと思ってたら、準備が間に合わなくなって決まりが悪いの、今も昔も変わらない。
「身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかしと見る」と言っているが、本心なのか、単に慇懃無礼なのか。紫式部は陰気で慇懃無礼なプライドの高い人間、みたいなイメージが朝芽の中にあって、どれだけ苦しがっていてもあくまでもポーズに見えてしまうところがある。
この段階でも領巾は使われているのだが、大体院政紀の強装束化で結構なものが変化したのだろうかね?
掻練を打衣の意でとってる?そもそも打衣と袿の違い自体も不明じゃなかったか?

27御簾内の女房達の衣装を事細かに書いてあるの、現代人からするとありがたいけど、自分の仲間内で考えたら結構怖くない?
「弁の宰相の君、御佩刀とりてまゐりたまへり」とあるが、26で御佩刀とってるの「左衛門の内侍」なのだが、この宰相の君って内侍なのか?

28紫式部は衣の記述が好きなのか?
音楽なのにどうしてか衣が薄くて寒い話が入る。衣に対して執着があると見た方がまだ他人の衣装事細かに記述するこえー人感が減ると思うんだけどどうでしょ……?
「故院のおはしましし時」の話をする筑前の命婦はどんな人なのでしょうか…?単に懐古しやすい人?
加階の在ることが有名だから書いたのか、それともなぜかそこに注目したのかどっちだろうか?その後に「藤原ながら門分かれたるは、列にも立ちざりけり」とあるので、意図的に主家礼讃の主張のために記述した、と捉える事も可能ではあるらしい。あまり好きではないとりかただけど。 
でも前に道長の感涙について触れてるからなー…

29紫式部寝過ごす
この人の寝過ごしたを素直にとれないのは良くない。
主家礼讃のために書かれた説そんな好きでないのならば、なおさらそのまま捉えるべきだ。
産剃りよりも、後朝の文使いの方が重要視(?)されてるの面白い。

30モテ自慢にしか見えない
匂わせ現代の方が侘び寂感を感じるのでやはり侘び寂は後世の文化(?)
とはいえ、中宮への御礼言上は、中宮の女房を介して啓上するのが作法かつ、啓上を頼む懇意(頼むことのできる信頼感位の意)の女房が公卿それぞれにいたらしい。
実資は『小右記』において、紫式部であったことがわかっているらしい?
そのため、モテ自慢ではなく、シゴデキ自慢のが近いっぽい。まあ、仕事の話だけでなく〜なことも書いてあるので、モテ自慢的なのもあるだろこれ。
この場合の中宮の女房って、公私どっち?紫式部って私の里女房では?
し着たり感があるから、公っぽく見えるだけで、御礼は個人間での行いっていうことでいいのか?
このシーンが二千円札に書かれているらしい。
カテゴリ: 紫式部日記

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