09/24の日記

23:52
有言実行?『紫式部日記』感想文1
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作品上げろっていう当然のご指摘はわかってるんですが、せっかくならということで感想文の有言実行するか!と思った朝芽です。
読書感想文とかめっちゃ苦手なんで、どうなるか全くわかんないですね(笑)
使用した本も書いとくので、「ちょっと朝芽におしえてやるか!」って方はコメントでもメールでもお教えください(笑)
章節番号もその本に依るよ!
60あるって!!飽きないかな…心配。
宮崎荘平『紫式部日記』(講談社学術文庫)

1秋なんだなー、ってことしかわからん。
寛弘5年秋、立秋が6月とかいうくっそ早いことしかわからん。というか、これが太陽暦だと8月だから古典だと6月が夏なのはよく分かった。
土御門なのは、彰子の出産のため。出産のために読経がされる。

2皇后は出産で実家でも女蔵人が来る
1と同日なのかすらわからん。「不断の御読経」って1で言われてるので常に読経してるわけで、「五壇の御修法」って新しいの始まっても……新しいの始まってるから別日?
、東の対から僧が来て、西の大威徳明王を拝んでる(?)ので、彰子のいたところは西側。西の対?母屋も東からくれば西だけど、どこにいたんだろう?

3朝顔って出てきたがこれ朝、顔だった。
「朝顔」ってあったから脳直で花だと思ったら、朝の化粧してない顔のことだった。どうりで女郎花しか話題にないわけだ…
ここで道長と歌のやりとりをしているから、俗に恋愛感情とかが出てくるんだなと納得した。研究者は「主家礼讃」としてる。
道長から歌を出されて速攻で返歌してるので、主家礼讃とともに自身の有能さの誇示だと思うなぁ?

4『蜻蛉日記』ってめっちゃ早いんだな…
始めに話してる「宰相の君」が道綱の娘だから、『蜻蛉日記』って二世代くらい前の日記なんだな…
頼通が「殿の三位の君」なので、十七で三位なの、本当に道長がどれだけ権威というか権力があったのかって感じ。
「物語にほめたる男の心地」って、頼通のが作品の貴公子っぽいってことなのかな?

5わざと負けたって当日いなかった人が知ってるレベルの八百長(?)って評価いいものなんだろうか?
突然現れる播磨の守。しかも誰かわからない。
さらに紫式部本人はそこにいすらしない。
碁盤が凄いって話と突然扇みんな持ってるよねってされて終わった…

とりあえず5章!
来年の大河に間に合いたい!!
そしてついでに毎日日記を更新したい(笑)
カテゴリ: 紫式部日記

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