暗黒の章〜裏への入り口〜
□【Dark Prisoner〜黒い呪縛〜】
1ページ/19ページ
プロローグ〜side蔵馬〜
今でも時々夢に現れる漆黒の羽。
右も左も、上下の感覚させ遮断された暗闇の世界で彷徨う意識。
手探りで必死に出口を探すのに、無限に続く何も見えない空間。
ただ........
薄気味悪い程に艶々と光る羽の一枚一枚が、なぜかはっきりと見える。
無数の羽はいつしか視界を塞ぎ、身体中に纏わりつき始める。
ペッタリと張り付くそれを振り払おうともがけばもがく程、動きを抑え込まんとその数は増えていく。
無数の羽に覆いつくされながら甦るのは........
---私は4人の中で一番お前が好きだよ。壊したくなるぐらいな-----
---なかなかの感度じゃないか-----
執拗に口内をかき回すヌメヌメとした感触。
唾液で舐めまわすように濡らされた肌。
そして.....
意思とは無関係とはいえ、吐き出してしまった白濁の液体。
いとも簡単に落城してしまった自分を何度責めても、元には戻せない現実。
それでも、崩れてしまいそうな心を支えてくれたのは......
「何も考えんな....そんな感覚は俺が全部消してやるから」
優しいキスが、
触れ合った肌の温もりが、
一晩中離れなかった腕が。
刻まれた痕跡も、こびり付いた記憶も全てを洗い流してくれた気がした。
あとは自らの手で、真っ黒な影ごと記憶を葬り去ればいい。
そうして臨んだあの決勝戦。
死を覚悟して召還した魔界植物が、相手の核を貫くのを見た瞬間、最初に広がったのは安堵感。
カウント負けしてしまった悔しさよりも、消し去った黒い妖気にホッとする気持ちの方が大きかった。
「蔵馬!!大丈夫か?」
声が耳に届いたと同時に映ったのは、いつの間にか隣に駆け寄っていた幽助の心配そうな顔。
「うん....ゴメンね、負けちゃった」
「んなの、どうだっていいんだよ。おめぇが無事なら」
傷だらけ身体を労わるように、傷に触れないように回された腕にギュッとしがみ付きたかった。
大観衆の前にして、それは出来なかったけど。
「歩けるか?」
「うん、平気」
「ここで抱き上げたら、さすがにおめぇも怒っだろ?」
本気とも冗談ともつかない真顔でサラリと言われ、思わず見上げた幽助の顔。
様々な想いが複雑に絡み合った瞳の中には、読み取れない感情が浮かんでた。
ただ一つ分かったのは......
「ゴメンね、幽助.....心配かけて。でも、俺....どうしても鴉だけは....」
自分の手で全てを消し去ってしまいたかった。
たとえ、どんな無謀な方法だったとしても。
「.....無茶し過ぎだっつ〜の」
支えてくれてる手が微かに震えてたのは、きっと気のせいなんかじゃなかったと思う。
「......な、蔵馬」
俯いた俺の頭にポツリと落ちてきた呟き。何て言われたのか分からないぐらいに小さな音。
「幽助、何か言った?」
聞き返そうと顔を上げたら、幽助がすごく辛そうな表情で見下ろしてた。
それは一瞬で消え、いつもの優しい表情へと変わる。
暖かくも逞しい腕に支えられながら、闘技場のリングを降りた。
“これで終わった.......”
そう思ってた。
嫌な記憶も、染み付いた感触もこれで全て忘れられる。
もう二度と黒い幻惑が纏わりつく事はない。
そう思ってリングを振り返った。
心臓が......凍りつくかと思った。
唯の幻だったのかもしれない。
だけど幻だと言い聞かせるには、そこにある光景がリアルすぎて。
とどめは刺したはずなのに、確かにそこに横たわっている相手の核を、たった今貫いたはずなのに。
翡翠の中に飛び込んできたのは、直視する不敵な微笑み。
身体中を一瞬にして恐怖が駈け巡った。
「どうして.......」
(確実に仕留めたはず。動けるはずなんて......)
妖怪の生命の源である核の動きが止まれば、その妖怪はただの屍と化す。
鴉とて例外では.....
「どうした?蔵馬」
無意識のうちにギュッと縋った指から伝わる不安を汲み取った幽助の声にさえ、気付けないほど動揺してた。
きっとただの幻影。
引きずったままの記憶が見せるただの幻、そう言い聞かせるように瞳を閉じた。
視界から消えた不敵な微笑み。
入れ替わるように聞こえてきた言葉に全身が凍りついた。
----これで終わったと思うな-----
ハッと目を見開き戻した視線。
リングの上には試合終了のそのままの姿で横たわる黒いシルエット。
ピクリとも動かない様子を見れば、息絶えてるのは変えようもない事実。
それなのに、耳の奥で木霊し続ける言葉。
(これで終わりじゃない....?)
消えたはずの感触が、
忘れられるはずだった忌まわしい記憶が、
一気に甦り、全身を黒い妖気が覆い始める。
目の前の景色が真っ黒な世界に切り替わった。
どこまでもどこまでも落ちていきそうな感覚。
「蔵馬っっ!!!蔵馬!!!!」
自分を呼ぶ声と、落下し続ける身体が受け止められた感触ははっきりと分かった。
勿論それが誰の声で誰の腕なのかも。
黒一色に染まる沼に、引きずりこまれそうな意識を辛うじて繋ぎ止めてくれたのは.....
「幽.......すケ......」
記憶が途絶える直前、微かに視界の端に捉えた鴉はリングの中心で横たわったままだった。
だけどこの日から、ずっと消えない幻影。
時折意識の中に入り込んでは、思い出したくもない記憶に触れていく。
夢の中にまで寝食してきては、忘れたい映像を映し出していく。
耳元で囁くように鳴り響く、鬱陶しい声。
まるで虫たちが肌の上を這いずり回るような、おぞましい感触。
見えない手で撫で回されてるとすら感じるリアルさ。
武術会が終わって一ヶ月が過ぎても、昨日の事のように鮮明に焼きついて離れない出来事。
目に見えない恐怖と、負の記憶は身体に染み付いたまま。
ベッタリと張り付いて消えないあの日の屈辱で、大好きな人と触れ合う事すらも身体が拒否してしまう。
それが.....何よりもショックだった。
それなのに、変わらぬ優しさで包み込んでくれて、
うなされる自分の傍を離れないでいてくれて、
一晩中抱き締めてくれる。
何も言わずに与えてくれる触れるだけのキスが、
決して無理強いをしない優しさが、
嬉しいはずなのに、すごく辛くて......
幽助を拒絶してしまう自分が嫌で嫌で.....
自己嫌悪と罪悪感に耐え切れなくて、一度だけ切り出した別れ。
「バカな事を言ってんじゃねぇよっっ!!」
初めて聞いた怒鳴り声。
それはすぐに力強く抱き締める腕に代わったけど。
「何があっても傍にいるから。おめぇが抱えてる苦しみも、全部一緒に背負ってやるから」
幽助の優しさが、
包み込んでくれる温もりが、
どんなに時間がかかっても、きっと何もかも忘れさせてくれる.....そう思えた。
幽助の手を放さずにいれば、きっと。
鴉は確かにこの手で殺したんだ------
だから、幻影に惑わされる必要なんてない、必死に言い聞かせた。
その幻影がすぐ近くにまで忍び寄ってきているなんて、気付くはずもなく........