闘神の章〜幽助×蔵馬〜
□【waiting for.........】
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「南野〜、どうした?ボ〜っとして?」
暖房の利いた暖かな社内。
カタカタとリズミカルな打刻音がひっきりなしに聞こえ、コピー機が瞬時に数十枚の資料を吐き出す。
バタバタと室内を行き交う音。
数分おきになる電話に応対する声。
誰もが目の前の仕事に追われ、きりきり舞い状態.......
そんな中、忙しい空気なんて何のその。机に肩肘ついてフ〜っと悩ましげな溜め息を漏らす社員が一人。
目の前にドンっと置かれたパソコンの画面では、途中で途切れた文字が"続きを打って"と主張してる。
物憂げな表情の中に埋もれた翡翠の瞳が、チラリと画面を一瞥して....さして興味はないとでもいうように、また大きな溜め息を一つ落とした。
誰も追い付けないスピードでキーボードを叩く指が、今日は数行の文字を打つのにひどく時間がかかってた。
珍しく全く捗る気配のない様子に、心配した同僚が声をかけてきたわけで。
その声にすら意識が向かないのか、瞳の中にある深緑の宝石はボ〜っと空中を見つめたまま。
憂いに満ちた瞳。
切なげな溜め息。
どこか遠くにある心。
あまりの無反応さに、これ以上踏み込んでも無駄だと判断したのか、首を振りその場を離れた。
(南野が仕事に手がつかないのも珍しいよな。まさかの恋煩いか?なんてまさかな〜......)
誰かに恋煩いをさせても、羨ましいぐらい非の打ち所のないこいつが恋煩いなんて。
有り得ない。
うんうん、それはないない。
自己完結させた疑問の答えが、当たらずとも遠からずだったとは......
誰一人として知るはずもなかった。
**********************
無意識のうちに吐き出した溜め息の大きさに、ボンヤリとしていた思考が引き戻される。
ざわめく社内の喧騒に“仕事中なんだ”とハッと我に返った。
中途半端に途切れたままの文章を完成させるべく、一呼吸おき素早いタッチでキーボードを叩き始める。
画面を直視したままの瞳が次々と流れる文字を追い、頭の中で組み立てた文章が画面の上に打ち込まれていく。
テンポよく滑っていた指がピタリと止まった。
目の前の画面に現れるのは唯の文字の羅列。
小難しい言葉で彩られた報告書。
その中には何のイメージも沸かないはずなのに。
堅苦しい漢字だらけの画面になぜか浮かんでくる笑い顔。
(幽助のバカ....もう2週間だよ.....)
湧き上がるイメージを払拭しようと、更に増したスピードで文字を打っても消えてくれない顔。
「ちょっと片付けなきゃいけねぇ事ができてさ。魔界に行ってくるわ。1週間で戻るから」
その言葉を聞いたのは2週間前。
人間界を住処にしているとはいえ、亡き雷禅の忘れ形見とも言える幽助は仮にも一国の国王様。
時おりフラリと魔界を訪れては何やら事務らしき仕事を片付けてくる。
トーナメント開催の年にもなると増す魔界訪問。
たかだか一週間、されど一週間。
顔を見るどころか声すらも聞けない時間は、蔵馬にとって喜ばしきものではない。
幽助が設定した帰ってくるまでの期限。
その期限を越えずに必ず帰ってきてくれる。
だからその間は、寂しさを必死に我慢して過ごしてるのに。
“一週間”と言われたら、その量でしか淋しさを受け止めきれない。
なのに約束の期間の2倍の時間が過ぎて。
寂しい気持ちなんてとっくのとうに器から溢れてこぼれ出してる。
「2週間なんて聞いてないよ.....幽助の嘘つき......」
言葉に載せてついた悪態も、その裏にあるのは......
“逢いたい”
ただそれだけ。
フッとパソコンに戻した視線が画面に釘付けになる。
一段落した企画の報告書を書いてたはずなのに。
打ち込まれていた「逢いたい」の文字。
慌てて消し、今度こそ仕事に集中しようと小さく深呼吸した。
逢いたい気持ちも募る寂しさも、機械的に流れていく文字と同じように流し去るように。
ピロロロ〜ン......
手元に置いてた携帯が発した間延びした着信音。
ようやく目先の業務に集中しかけた矢先の妨害に、ムッとしかめっ面になる。
どうせ下らない広告メールか仕事関連だろう。
大した用件でなければ無視してやろう。
右手で握ったマウスをカチカチと動かしながら、左手で開いた携帯画面。
“新着メールが一件あります”
ザッと一瞬だけ液晶に走らせた視線。
不要なメールと判断するはずが、その視線は外される事なくジ〜っと注がれたまま。
受信フォルダーに示された差出人の名前。
FROM:幽助
不機嫌オーラをビンビンに出してた表情が、みるみるうちに蕩けていく。
「ちょっと一息ついてくる」
隣の同僚に一声かけ、休憩室へと向かった。
別にメールぐらいその場で読めばいいじゃん、なんて思われるかもしれないけど。
2週間ぶりに届く幽助からのメッセージ。
それだけで、きっと頬が緩んだ腑抜けた顔になるのは分かってるから。
全くもって余裕のないオフィスの中で、ニコニコするのはあからさまにTPOを考えていないのと同じ。
さすがにそれは良心がジクジクと痛むというもの。
中途半端な時間帯のせいか、人のまばらな休憩室の一番隅っこに座り、受信フォルダーを開いた。
sub:マジごめん!!
【予想以上に手間がかかっちまって.....約束守れなくてごめんな。自分が2週間も放ったらかしておいて何だけどさ、おめぇの顔見れないのも、声聞けないのも限界だわ。今日会えねぇ?】
----限界だわ----
「それは.....こっちの台詞だよ」
飛び出した小さな文句も、たった一言がかき消してしまう。
---今日会えねぇ?----
それは2週間待ち続けた一言。
チョコチョコッとボタンを操作して入力した文字。
ポンッと軽やかに送信ボタンを押せば、一瞬で想いを届けてくれる。
【幽助に会えなくて死んじゃうかと思った.......仕事定時に終わらせるから】
すぐに新たなメールの受信を告げる音が鳴る。
【定時と言わず今すぐ帰ってこいよ.....なんてな。会社まで迎えに行くから。後でな】
----後でな.....----
【うん。17時には絶対終わらせるから】
早く逢いたい.......
“送信完了しました”
託した気持ちが届いた事を知らせるメッセージが消え、待ち受け画面に戻る。
映し出される大好きな笑顔。
液晶越しに笑う口元でチュッと軽い音を弾かせた。
自分でやっておいて“何て女の子みたいな事したんだろう”と赤面する。
それだけ心は舞い上がっていて。
だけど、昼前を示す時計の針が物凄く恨めしかった。
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刻一刻と差し迫る退社までの時間。
次から次へと渡される書類を、同僚が呆気に取られる程の勢いで片っ端から超特急で片付け、気付いた時には終業30分前になっていた。
「秀一君、何だかご機嫌だね」
背後からの気配と掛けられた声に振り向くと、ご機嫌モードでニコニコ顔の蔵馬以上の笑顔を浮べて義理の父親が立っている。
「よっぽど嬉しい事でもあったのかな?」
「え?あっ.....まぁ....はい//////」
あと少しで逢える恋人を思い出したのか、薄っすらと頬に紅色が差す。
「そっかぁ。それだけ上機嫌な今の秀一君になら頼みやすいかな」
雲の上をフワフワと飛んでる思考では、養父の口から出た少々怪しげな言い回しにの裏にある真意を汲み取れず。
「え?何がですか?」
いつもなら警戒するであろう言葉に、バカ正直に返した返事。
それが今日の運の尽き。
「急遽クライアントとの打ち合わせが18時から入ってね。私は今日は会議があるんだよ。そういうわけで秀一君。悪いけど.......」
“悪いけど”その後に続く台詞は言われなくても分かった。
一瞬頭を過ぎった断るという選択肢。
それが選べない選択肢であることも瞬時に脳が理解してた。
「分かりました.......」
----会社まで迎えに行くから----
浮かんでは消えていく幽助の顔。
打ち合わせがどの程度の時間で終わるかなんて全く予想がつかない。
こっちの都合で早々と切り上げるわけにもいかない。
かといってすっぽかすなんて出来るはずもなく。
ド〜ンっと沈み込んだ空気の中、取り出した携帯電話にノロノロと文字を打ち込んだ。
TO:幽助
【ごめんね、18時から急に打ち合わせが入っちゃって....何時に終わるか分からないんだけど...】
気分を害させてしまったらどうしよう.....
もしかして怒って返事くれないかもしれない.....
ドキドキと波打つ心音。
すぐに鳴ったメール音に体が小さく跳ねた。
恐る恐る開いたメールBOX。
【ま〜た、頼まれて断れなかったんだろ?無理すんなよ。家で待ってっから。終わったらすぐ帰って来いよ】
フッと涙腺が緩みそうになった。
機械を仲介して届く無感情な文字なのに、そこに溢れるのは暖かい優しさ。
17時には終わらせるって伝えたメール。
恐らくもう会社の近くまで来てるだろう時間。
それなのに.....
---家で待ってっから---
掛けた手間に怒るわけでもなく、文句を言うわけでもなく。
「幽助....」
ポツリと零した名前。
今はただただ幽助に逢いたくて、どうしようもなく逢いたかった。
【ごめんね。終わったらすぐ帰るから。早く....幽助に逢いたい】
素直な言葉を文字に乗せて送信ボタンを押した。
溢れる想いが届くように------