泡沫の章〜コエ蔵SS〜

□【sign】
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「コエンマ様、すみません。こちらの書類もお願いします」


遠慮がちなノック音と共にすぐ近くで聞こえてきた声に、持ち上がった顔。

恭しく頭を下げる男の手の中に収められた大量の紙の束を一瞥した視線が、何事もないかのように所定の位置に戻された。


「そこへ」


必要最低限の返事だけを返し、積み上げられた書類の山を一枚一枚崩していく。

ザッと目を通しては確認の印を押していくだけの単調な作業。

他の者でも出きる様な単純作業.....されど、それは皇太子たる身分にある者にしか出来ない重要な作業でもあって。

内心では“面倒”なんて思ってはいても、立場上露骨に表面に出すわけにはいかないと、顔色一つ崩さずに同じペースで片付けていく。

そうやって黙々と仕事に打ち込んでいるのに...

ドサっと重たい音が聞こえ、僅かな振動に揺れた職務机。

半分以上は崩したはずの書類の山が、いつの間にかスタート地点と同じ高さ...いやそれ以上の高さに戻ってた。

少しずつ見えてきたはずのゴールが、ほんの一瞬で遥か遠くへ引き離される。

かなりの時間をかけて半分まで減らした仕事量を呆気なく元に戻され、さすがにウンザリといった溜め息が洩れた。


「あの....コエンマ様。少しお休みになられますか?何か持ってこさせましょうか?」


さすがに申し訳なく思ったのか、皇太子の機嫌を窺うような声が一時の休憩を提案する。

不機嫌色に染まりかけたコエンマの顔が、フッと我に返った。


「いや....いい。すまなかったな。もうよいぞ」


柔らかいものへと変わった表情と、穏かな口調に安堵したのか、ホッと一礼をし男がその場を立ち去る。

文句を言ったところで仕事が減るわけでもなし。

再び始まった書類との睨めっこ。

フッと傍に近づいてきた気配に、眉間に寄せていた皺が緩んだ。


「コエンマ様....」


耳をくすぐるような柔らかい声と、剣呑な空気を包み込むような香り。

イライラした心に心地良い風が吹き込んでくる。

無機質な文字の羅列から移動させた視線の先で、心配そうな瞳が揺れていた。


「あの....これ。とりあえず終わらせた分です」


胸の前でクロスさせた腕の中に収められた書類の束。

先程の様子を見ていたからなのか、手にした紙の束を差し出していいものかと戸惑いを見せる。

戸惑いはすぐに不安を帯びた翡翠の中に取り込まれていった。


「コエンマ様.....お疲れなんじゃ.....」


ここ数日学校が終わる度に訪れている霊界の地。

普段は“逢瀬”の為の理由になっている仕事の手伝いが、霊界に来る“理由”そのものになってしまっている....それぐらいの忙しさ。

自分はほんの少しの手伝いをしているだけ。

全体からみたらほんの数パーセントの手伝いにしかなっていないんだと思う。

残りの分量全てに責任を持つコエンマの疲れがどれほどのものか.....

時おり吐き出される溜め息。

入れ替わり立ち代り入ってきては、書類の山を積み上げていく家臣達が誰一人として気付かないため息も、大切な人を見る瞳にはちゃんと映っていた。


「大丈夫じゃよ。お主にも面倒をかけてすまんな」


優しく微笑みながら伸ばされた手。

ジッと見つめる翡翠の中に溶け込んだ心配の色が、少しずつ薄れていく。

それでも完全に拭いきれない気がかりを胸の中に仕舞いこんで、抱えていた書類をソッと手渡した。

渡された書類の下でツンッと触れたお互いの指先。

キュッと絡みついた感触に、コエンマの瞳が驚きで揺れた。


「無理.....しないで下さいね....」


気遣いの言葉に被さったのは、フンワリと揺れる綿帽子のような微笑み。

握り返そうとした指先がスルリとすり抜ける。

元の場所に腰掛け、次の作業に取り掛かり始めた蔵馬の横顔を長い髪がハラリと隠した。


「蔵馬」


呼ばれた名前に下を向いていた視線が持ち上がり、“何ですか?”と小首を傾げる愛らしい仕草を見せる。


「もう少ししたら....休憩をするかの?」


「....はい」


ニッコリと向けられた笑顔に、蓄積した疲れがス〜っと洗い流されていった。



*******************



もう少ししたら.....

そうは言ったものの、次々と運び込まれる仕事に終わる兆しを見出せないまま時間だけが経過していく。

とにかく片付けられるものは片っ端から片付けていこう。

目先の職務に全神経を集中させて単純作業を続けてどの位たっただろうか。

ふと気が付けば、ゆうに2時間近くも職務机に向かいっぱなしだと気付く。

ハッと目の前を見ると、2時間前と同じように真剣な表情でサラサラとペンを走らせる蔵馬の姿があった。

人間界ではすでに夜の帳が街を包み始めているのであろう時間。

高校生の身である彼をこんな時間まで霊界に引き止めていては.....

きっと母親も心配しているだろう。


「蔵馬....こんな時間まですまなかったの。そろそろ下(人間界)に戻った方が良い時間じゃな」


恋人の身を案じての一言の筈だった....

すぐにコエンマの顔に浮かんだ“しまった”という後悔の表情。

ペンの動きがピタっと止まる。

机の上に落としたまま動かない視線と、キュッと噛み締められた唇。

見惚れてしまう程に綺麗な横顔に影が射し、長い睫毛がフルッと揺れた。


「....はい。じゃぁ今日はここまでで帰ります。また明日....手伝いに来ますね」


コエンマを真正面に捉えた顔に広がるのは、疲れた心を優しく癒してくれるような微笑み。

そこにほんの一瞬だけ見えた寂しげな表情は、あっという間に笑顔に入れ替わる。

微笑みの奥に無理矢理閉じ込めたのであろう寂しさ。

いくら職務がたて込んでいるからといって、この数日間ほとんど構ってやる事が出来なかった。


---貴方に逢えるだけでいいんです----


別れ際に、抱きしめる腕の中で繰り返し呟かれた言葉。

まるで自分自身に言い聞かせるような言葉に隠された本心が何か.....

分かってたはずなのに。

今も.....


「コエンマ様....ちゃんと身体を休めて下さいね」


大切な恋人に寂しさを我慢させて、笑顔を取り繕わせて。

透明な瞳を哀しみの色で染めるわけには.....


「帰りが遅くなったら...やはり母親が心配するかの?」


唐突な質問に帰り支度をしていた蔵馬が手を止めた。

コエンマを見つめる瞳の翡翠がユラユラと揺れる。


「今日....母さん泊まりで出かけてるんです」


どこか期待を滲ませた返事に、扉を叩くノック音が被さった。


「コエンマ様。そろそろお食事の準備を致しましょうか?」


軽く一礼をした従者の視線がチラリと蔵馬に向けられる。

急きたてられるような視線に居たたまれなくなってきて。


「あっ...コエンマ様、それじゃぁ...」


学生鞄をキュッと抱きしめその場を離れかけた。


「食事は2人分用意しててもらえるかな」


背後から聞こえてきた声に、“え?”っと思わず振り返った瞳が驚きで小さく見開かれた。


「すぐにお持ちしますか?」


「いや、あとでいい」


皇太子の発した言葉に含まれる意味を何となく理解したのか、意味深な笑みが蔵馬に投げかけられる。

パタンと扉が閉まり、2人きりの空間に静けさが流れた。


「あの...コエンマ様....」


「母親は留守なんじゃろ?ならば多少遅くなっても...問題はなかろう?」


向けられた優しい微笑み。

驚きで丸くなった瞳がフッと緩み、恥ずかしそうに小さく頷く。


「蔵馬、こっちにおいで」


優しい声と、伸ばされた腕....そして本当はずっと望んでいた言葉。

手を離れ落下した鞄が、トサっと絨毯の上に落下した。

トンっと飛びついていった身体はフワリと受け止められ、しっかりと抱きしめられる。


「すまんの....このところずっと我慢させてしまったようじゃな」


ギュッとしがみつきながらもフルフルと首をふるのは、無意識の遠慮がもたらす強がり。

フッと愛しげに口元を緩め、ポンポンっとあやすように手の平を背中で弾ませた。


「嘘をつくでない。今は職務中ではないんじゃぞ?」


優しく言葉を掛けながら“遠慮”を取り払うように促すと、埋もれていた顔が持ち上がる。

またすぐにコテンと胸に寄せられた頬。

細い指先がキュッとコエンマの服を掴んだ。


「....傍にいるのに....何だかずっと遠くに感じたから...」


小さな小さな声で紡がれてたのは、抱え続けていた寂しさという本音。

抱きしめる腕に一層の力が入った。


「明日は職務を休んで、お主とゆっくり過ごすとしよう。下界で....デートでもどうかの?」


「でも.....」


「ワシの仕事の事なら心配せんでも良い。あんなものいつでも出来る」


職務の時間なんかいくらでも取り戻せる。

だけど、大切な人を哀しませた時間は取り返しがつかない。

どちらを優先させるべきかなんて考えるまでも......


「あと...今晩はお主を家に帰すつもりはないんじゃが、それも良いな?」


ポッと桃色に染まった頬と恥ずかしそうに見上げてくる上目遣い。


「皇太子命令じゃ....NOとは言えないですね/////」


高鳴る鼓動に気付かれたくなくて、冗談めかした口調で答えたのに...


「正しくは“恋人としての願い”じゃがな」


はっきりと口にしてくれた“恋人”という言葉に、これ以上ない程に真っ赤に染まった顔。


「もう....コエンマ様ってば....」


嬉しそうにはみかむ笑顔にいっぱいに広がる幸せの色。


「さて...お腹が減っているようなら食事を用意させるが...どうする?」


問いかけに答えたのは薄桃色に染まる微笑みと.....


「先に....この数日間の寂しさを埋めて下さい...コエンマ様で....////」


愛らしい誘い掛けに、コエンマを取り巻く空気が優しく揺らめく。


「仰せのままに」


愛しさごと腕に抱きしめたまま、待ちわびる唇に温もりを押し当てた.....


fin.


あ〜!!!11日中のUPに数分間に合わなかった(>_<)

本当に久しぶりのコエ蔵です☆相変わらずコエンマ様は優しい(#^.^#)
7月度のWEB拍手SS候補だったお話です。そしてまた蔵馬ちゃんが最後になんたる誘い文句(笑)

コエ蔵は無性に書きたい〜!!ってなるんですけど、お話を作るのが一番難しいCPなんですよね。
そのうち長編とかも書きたいんですけど。

2014.7.12 咲坂翠

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