泡沫の章〜コエ蔵SS〜

□【傍にいて】
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ピピピっ......


口の中にくわえた体温計から鳴る、計測完了の合図。

ノロノロと億劫そうに.....実際かなり億劫なんだけど、口から取り出した体温計を目の前にかざす。

ボ〜っとあまり焦点の定まらない瞳が、辛うじて捉えた小さな数字。


38.9度......


「うそ.....また上がってる.....」


この冬、猛威を奮ったインフルエンザで次々と会社の同僚が戦線離脱していく中、ウィルスを受け付けなかった数少ない生き残り......

何て大袈裟な言い方だけど、元気な者が多少無理をしなきゃ不足人員分の仕事はカバー出来ない。

山積みの仕事を片っ端から片付ける事1週間。7連勤分の深夜残業。うち何日かは会社泊。

"無理"なんて言葉はとっくに通り越して、【限界の向こう側】が見えてきた身体が悲鳴をあげないはずはなく。

インフルエンザから同僚達が元気にカムバックしてきたのと入れ違いに、蔵馬を襲ったのは38度を余裕で超える急な発熱。

念の為に受けたインフルエンザ検査は陰性。


「熱風邪ですね。過労も重なってるようですし、出来れば2〜3日ゆっくりされるのをお勧めしますよ」


1週間無理させた事に引け目を感じてたのか、“1日だけ休みを下さい”という息子の要望に社長である義理の父親が返した返事は、


「1日といわず体調が回復するまで休んでなさい」


その言葉に甘えて休みを取ったのだけど.......


「何で下がってくれないんだろう」


熱が下がる気配を見せないまま3日目。一度は下がって安心したのも束の間、すぐにぶり返してしまった。

大人しくベッドに寝てるのに、全く回復してくれない。

身体中が鉛のように重たく、まるで鎖でベッドに繋がれてるような気がする。


(喉渇いたなぁ.........)


カラカラの渇きを潤そうと身を起こしかけた瞬間、頭がグラリと回りすぐにベッドに吸い寄せられてしまった。

こういう時に一人暮らしの心細さを感じる。

弱ってる時こそ誰かに傍にいて欲しいって思う。

“誰か”なんてあやふやな人じゃなくて、今一番に傍にいて欲しい人は......


「逢いたい......」


ポツリと呟いた言葉が熱を帯びた息遣いと共に吐き出された。

例えばそれが幽助とか桑原君とかだったら、何の気兼ねもなく電話一本で“来て”って言えるんだと思う。

だけど、何よりも逢いたい人には“来て”なんて言えない。

仮に言ったとしても、簡単に来るなんて出来ない人だから。

押し寄せるこもった熱と気持ち悪さと。

二つもの負の要素に浮かされながら、巡らせる想い。

ほとんど機能していない意識の中で、フイに聞こえた窓ガラスを叩く音。

“誰?”と聞く前に全開になった窓ガラスから室内に入り込んできた外気の冷たさが、室内の温度を一気に数度下げたような気がした。


「蔵馬〜、お邪魔するよ〜。ちょいとあんた、今時間あるかい?コエンマ様の手伝いを.....って、どうしたんだい!!??具合でも悪いのかい??」


ベッドに横になって苦しげな呼吸をする姿を見て、慌てて近寄ってきたぼたんに現状を説明するのも億劫で。

“言わなくっても察して”的な視線を投げかける。

見て明らかな発熱と、それを裏付ける38.9度を表示したまま投げ出されてる体温計。

常日頃は軽い調子のぼたんも、さすがにこの現状を見てはおちゃらけてはいられない。

氷水を変えて、冷蔵庫からペットボトルの水を出して。

柔軟な対応が出来るのあたり、一応は女の子。


「インフルエンザだったかい?人間界の流行り風邪。そいつに罹ったのかい?」


「違います....ただの風邪ですよ。それより、何か用事だったんじゃないですか?」


「ん〜?実はコエンマ様が仕事を手伝って欲しいって言ってたんだけど、その調子じゃ無理みたいやね」


せっかく逢えるチャンスだったのに。

例え“仕事の手伝い”という名目でも、貴重な逢瀬に違いはない。

何でこんな時に風邪なんか......

下がらない熱を今ほど恨めしく思った瞬間はなかった。


「何ならコエンマ様連れてこようかい?こういう時こそアンタも逢いたいだろ?」


そうだよ、凄く逢いたい。

コエンマ様がここに来てくれたらって思う。

せっかく“連れてこようか”なんて願ってもない提案をしてくれたのに。

素直な気持ちを覆ったのはやっぱり....


「ねぇ、ぼたん。コエンマ様には俺が体調崩してること言わないで下さいね。会社の仕事が詰まってるからって....言ってて下さい」


「でも、あんたいいのかい?コエンマ様だって心配してきっと来てくれるさね」


「だからですよ。コエンマ様忙しいのに、こんな事でワザワザ来てもらう訳にはいきませんから」


本当は逢いたくて逢いたくて、どうしようもなく逢いたい。

だけど皇太子という立場にいる貴方の手を煩わせたくはないから......

どこか納得していないぼたんを強引に追い返し、再び一人の部屋で横たわったまま大きく息を吐いた。

全身に広がる疲労感。

重たい身体が暗い沼の底に引きずりこまれるように、意識もまた水の底へと沈み込んでいった。



**************************



眠りなのか覚醒なのか分からない狭間で漂う意識。

身体は辛うじて動かせるのに、脳が眠りの世界と現実の境界線を認識していない....そんな感じ。

この3日間その繰り返しだった。

フッと近くに気配を感じ、薄っすらと目を開ける。

ぼたんは帰ったからここには自分一人、誰もいるはずは.......

もしかしてまだ夢の中なのかもしれない。

そんな事を思いながら、覚醒すrべく目を瞑って意識を浮上させようとした。

徐々に暗い沼の底から浮かび上がってくる意識。

浮上の途中で感じたのはやっぱり誰かが傍にいる気配。

意識が夢うつつの境界を越え、現実の中に溶け込み始めた頃、はっきりと認識したのはこの部屋に漂うはずのない優しい空気の揺らめき。

そんな空気を纏ってる人は一人しか......


「コエンマ....様....?」


その名を口にしてみたけど、ここに居るはずなんてない。

そう、居るなずなんて.......

フワリと前髪をかき上げられ、おでこに乗せられた掌の感触。

それだけで下がらない熱を吸収してくれる気がする。

触れられただけで伝わる安心感。


「蔵馬......気が付いたようじゃな。気分はどうじゃ?」


物柔らかな波長の声が耳に聞こえた瞬間、居るはずのない存在が確かな存在へと変わった。


「どうして...コエンマ様が.....?」


「ぼたんから聞いての。様子を見に来てみれば、なかなか目を覚まさぬから心配したぞ」


「何で.....“コエンマ様には言わないで”って...そうお願いしてたのに.....」


「あやつに“黙ってろ”が通じるはずなかろう?」


確かに.....

“言わないで”って言われれば黙っていられないような人だってすっかり忘れてた。


「なぜ体調が悪い事を隠そうとしたんじゃ?」


責めてる訳でもない。咎める訳でもない。

ただ、心配そうな眼差しが覗き込んでた。


「だって......コエンマ様の事煩わせちゃいけないって思って.....」


貴方の邪魔にはなっちゃいけないって、そう思ってたから。

額に置かれてた手がスッと移動し、今度は頬に触れた温もり。


「煩わしいなど思うものか。ワシにとってお主以上に大切なモノなどないんじゃからな。だから、こういう時ぐらいは遠慮をするんじゃない」


「コエンマ様......」


フッと肩の力が抜けたような気がした。

我慢し続けてた想いがあふれ出してしまいそうになる。

だけど、先に襲ってきたのは倦怠感と高熱が引き起こす頭痛。

気持ち悪さに思わず咳き込んだ。

丸くなった背中を擦られてるうちに、少しずつ咳は収まってきたけど気だるさはひかないまま。


「蔵馬、熱はいつからじゃ?」


「3日前からです....一度は下がったんですけど、ぶりかえしちゃったみたいで。多分そろそろ下がり始めると思うから大丈夫ですよ」


無理に作ろうとする微笑にコエンマの口から小さな溜め息が洩れた。

おもむろに何かを取り出し口に含むとソッと身を屈める。

急に近付いてきた顔に一瞬驚いたような瞳。

触れる寸前の唇が、掌1枚分の壁に遮られた。


「コエンマ様....ダメ....風邪うつっちゃいますから.....」


小さな抵抗に無言のまま掌をゆっくりと引き剥がし、唇を重ね合わせた。

艶やかなはずの唇が今は潤いを失い、乾ききっていて。


「んっ.......ッッッ????」


スルリと口内に入り込んできた小さな異物。

気付いた時には喉の奥に流し込まれていた。


「ふっ......コエンマ様.....何を.....」


「心配するでない。唯の鎮静剤みたいなもんじゃよ。効き目は少々強めじゃがな」


全ての言葉を聞き終える前に、猛烈な眠気が襲ってきた。


「蔵馬...今は何も考えずに眠ればいい。起きた時にはきっと熱は下がっておる」


今にも閉じそうな瞼が、目の前にいるコエンマの姿すら覆い被そうとする。

一番逢いたかった人が傍にいるのに、このまま目を閉じてしまったら.......


「コエンマ様...お願いです....今だけこのまま傍にいて下さい.....」


普段はなかなか口に出来ない素直な想いが、自然と言葉になっていた。

ほんの僅かに動かした手に絡み付いてきた指先。

頭を撫でてくれる優しい手つき。

そして......


「このまま傍にいる。だからほら、目を瞑って」


優しい声に包まれて落ちてきたのは、一番に必要とする答え。

言われた通りに瞳を閉じようとして、またも込み上げてくる不安。

目の前にちゃんと存在してるのに、

触れ合ったヵ所からその存在が伝わるのに、

目が醒めたら何もかも夢になるような気がして。

眠りの境界線で必死に踏ん張り、くっつきそうな瞼を何とか引き上げようとした。


「蔵馬.....いいから、そのまま眠るんじゃ」


「....ヤ.....だって...寝ちゃったらコエンマ様がいなくなっちゃう.....」


起きた時に温もりが消えてたら.....それが怖かった。

怖かったけど。


「大丈夫じゃよ。お主が目が覚めるまでずっとここにおる。どこにも行かないから安心して眠るがいい」


“目が覚めるまでずっと”


その言葉にようやく安心したのか、翡翠を覆い尽くした長い睫毛。

フッと蔵馬の力が抜け、身体がベッドにゆっくりと沈みこんでいった。

穏かな眠りについても尚何かが不安なのか、ギュッとコエンマの指を握り締めたまま。

小さな寝息をたてる寝顔を見る瞳に、優しい色が灯り始める。


「初めてじゃな。お主が素直な気持ちを言ってくれたのは」


---傍にいて下さい----


一緒にいるのに、いつだって遠慮ばかりして。

己の気持ちを押し殺して。

一言でも口にすれば、その願いは全て叶えてやるのに.....

“逢いたい”

“傍に居て欲しい”

一言でも言ってくれれば-----

だから、聞かせてくれた素直な本音が嬉しかった。


規則正しい呼吸を紡ぎ出す口元に、ソッと温もりを重ね合わせる。


何よりも大切な人が望む通りに。

ずっと傍にいる。

目覚めるまで.....

目覚めてからも元気になるまではずっと....

傍に......


fin.


初のコエ蔵SSです★
え〜っと、気付かれましたか?実はこれ、現在の拍手コメのコエンマ様verをSSに仕上げてみたものです。拍手コメって弄ればお話になるじゃん!!って安直過ぎますけど(笑)


2013.4.5 咲坂 翠

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