泡沫の章〜飛蔵SS〜
□【think about.......】
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鍵のかかる事のない窓辺に降り立つと、迎えてくれるのは満面の笑顔と甘えるような声。
両手を広げて待つお前の身体を抱きしめると、嬉しそうに身を竦めピッタリと寄り添ってくる。
そして必ず俺の耳元を擽る言葉。
---飛影、逢いたかったよ....----
“逢いたかったよ.....”
花弁にも似た桜色の唇から零れるたった一言を、引き出せるの俺だけ。
そう自惚れているのを知ったらお前は笑うだろうか?
この腕に仕舞いこんだまま、柔らかな髪を撫でると大人しく身を任せてくるのに、少しだけ尖らせた口元から必ず洩れる小さな不満。
「もうっ!!せっかく飛び込んでくる貴方を受け止めようと手を広げてるのに....」
その細い腕で俺を抱き締めたいらしいが......
「その華奢な体を潰しそうで敵わん」
「これぐらいじゃ潰れませんよ!!」
潰れませんよ........
違うな。
俺がそんなヘマをするはずないだろ。
お前の望むとおりにする事など容易い。
だが......
そのむくれた顔が見たくて、ワザと聞かぬふりをしてると言ったらお前は怒るだろうか?
“逢いたかったよ”-----
知ってるか?蔵馬。
その素直な言葉以上に逢いたいと思ってるのが誰か。
言葉にはしないけれど........
その日は何もかもがおかしかった。
いつものように暗闇を抜けて、愛しい子狐の住処へと急ぐ。
あいつの前では消す必要もない気配。
ほんの微かな妖気を感じ取り、俺が魔界との境界線に着いた時には窓から身を乗り出して外を見ている。
「飛影の妖気ならどこにいてもすぐ分かりますよ」
それがどんな威力を発揮する一言なのか、
きっと気付いてないであろう無邪気な微笑みを早く見たくて、静寂の夜を駆け抜けた。
無数の窓から洩れる夜の街の灯りの中で、一際柔らかな光を放つ部屋。
もう少し.....あと少しでその光よりも柔らかく照らす微笑みに逢える。
逸る心を抑え開け放たれた窓から飛び込んだ。
目の前を遮るように舞ったカーテンに感じた最初の違和感。
いつもならカーテンより先に視界に入るはずの子狐が......いない。
腕の中に感じるはずの愛しい温もりに伸ばした腕が宙を切る。
「あっ、飛影。いらっしゃい、寒かったでしょ?」
フワリと向けられた微笑みも、耳を擽るような声も普段と同じ。
でも.....
----逢いたかった-----
必ず耳に届くはずの甘えるような声が今日は聞こえない。
近付く妖気を今か今かと身を乗り出すように待ちわびる姿の代わりに、真っ先に目についたのは部屋を占領する四角いテーブル。
床に敷かれた真新しいカーペット。
フカフカのクッションに腰を埋めた蔵馬の身体を覆うのは、テーブルからはみ出してる布団。
嬉しそうな微笑を見せるのに、座ったまま動こうともしない。
飛びついてきても良さそうな状況なのに。
肩透かしを食らった飛影の紅い瞳に戸惑いが浮かぶ。
「お前......何してる?」
「何って.....コタツで温まってるんですけど。見て分かりません?」
そんなの見れば分かる。
俺が聞きたいのは、なぜその状態から動かないか.......
フッと自嘲気味な笑いが漏れる。
馬鹿馬鹿しい。これじゃまるで......
構ってもらえない事に腹を立ててるみたいじゃないか。
らしくない己の行動に呆れつつ、コタツでヌクヌクと丸くなる蔵馬の横に腰を落とす。
ここでも感じた違和感。
ほんの少し身動ぎした蔵馬が、僅かに飛影との距離を空けた。
ともすれば気付かない程の動き。
身に纏う妖気がユラユラと安定しない。
あからさまではないが、滲み出る"触れないで"オーラ。
緋色の瞳がフッと緩んだ。
なる程な.....
「あぁ、そうだ。躯からの預かり物だ」
"躯"という言葉にザワリと空気が波立つ。
それもほんの一瞬。
「預かり物ですか?俺....何かを頼んだ覚えはないですけど?」
「ただの土産だ。お前が好きそうだから、と言ってたな」
「ふ〜ん....」
さして興味もなさげな返事も珍しい。
それでも未開封で放置する事はさすがに忍びないのか、ノロノロと少々面倒くさそ〜に開封していく。
袋の中に詰め込まれてた物に、つまらなそうだった瞳が釘付けになった。
「すご〜い、これ.....」
「どこぞの高級店の物なんだろ?俺はさして興味はないが」
同封されてたのは、魔界屈指の高級店でしか手に入らない紅茶。
一度は飲んでみたいと思ってはいたけど、さすがに手が出ない代物。
一昔前であれば有無を言わさず盗みに入ってたけど.....
「いいんですか?こんな高級な品」
「あいつが渡せって言ったんだ、貰っておけ」
垣間見せた嬉しそうな顔。
次に来る言葉は....普通であれば"一緒に飲みませんか?"
でも今日は.....
「躯に貴方からお礼言ってて下さいね」
心なしか事務口調に聞こえる言い方で、それだけ言うと、紅茶をテーブルに置いたまま手元の雑誌に視線を落とした。
「飲まないのか?」
「えぇ....今は別に。飛影、飲みたいんですか?」
「いや.....」
「でしょうね。"さして興味ない"ですもんね」
プクっと小さく頬を膨らませ、チラリと飛影を一瞥するとまたすぐに視線を外してしまった。
見るからに"怒ってますよ〜"オーラを発散してるのに、その所作が愛らしく見える。
何を怒っているのか......
何となく分かる気もするが。
「お前....機嫌悪いのか?」
「別に、普通ですけど?」
嘘つけ。
妙に棘のある言い回しに、ワザとらしい素っ気なさ。
不機嫌そのものじゃないか。
「それならいいが。俺はもう戻るぞ」
視線は落としたまま肩がピクっと小さく動いた。
「もう....帰るんですか....?」
「あぁ。この時期は魔界も忙しくてな。躯の預かり物を渡すついでに顔を見にきただけだ」
「そう....ですか」
瞳を伏せたっきり目を合わせようともしない。
「また来る。それまでに機嫌直しておけよ」
ポンポンと頭を軽く叩き、立ち上がる。
「....誰のせいだと.....」
ポツっと聞こえた小さな声。
音になるかならないかのギリギリの声も、飛影が聞き逃すはずはなく。
「何か言ったか?」
クルリと振り返った先で、物悲しそうに揺れる翡翠とぶつかった。
ガッチリ絡み合った視線にハッとしたように、慌てて蔵馬が顔を逸らす。
「別に....何も言ってません。パトロール中なんでしょ?早く戻らないと躯に怒られますよ」
全くこの子狐は......
やるなら徹底的にやればいいものを。
「近いうちにまた来る」
「忙しいんでしょ?無理してまで来なくても大丈夫ですよ。俺も.....年の瀬迫るこの時期はバタバタしてますし。それに.....」
「....それに?何だ?」
「.....なんか....いで.......」
途切れた小さな声に首を傾げて、もう一度と促しても“何でもない”と言ったきり黙ってしまう。
聞こえてないはず。
そう思ってるのは.......
再び視線を落としてしまった蔵馬を見た飛影から小さな溜め息が零れた。
-----出来ない約束なんかしないで------
聞こえてるぞ、バカ狐。
まぁ、これでご機嫌斜めの原因が分かったがな。
大方の予想通りといったところ。
前回の訪問は確か夏だったか。
「季節が変わる頃には逢いに来る」
朝日の差し込む窓辺で、哀しそうに見送る翡翠の目元に口付けながら口にした約束。
破るつもりはなかった。
ただ忙しくて。
だが......それも唯の言い訳だな。
今はもう冬。口にした約束を叶えてやらなかったのは事実。
子狐がへそを曲げるのも当然と言えば当然か。
それにしても......
コタツに足を突っ込み座ったまま微動だにしようとしない。
----無理して来なくても....-----
なんて言ってたくせに、唇を噛み締め小さく肩を震わせる。
必死に何かに耐えている様に。
ポツンと小さな雫が落ち、テーブルの上に小さな水溜りを作った。
この意地っ張りのバカ狐が........
静かに背後に回り込み、震える身体を抱き締めた。
「.....っっ...やだっ、離して下さい!!」
ジタバタと暴れるのを物ともせずに、コタツから引きずり出す。
「ちょっと!!飛影っ!!何するんですか!!」
膝の間に座らせ、後ろからしっかりと抱きすくめても抵抗をやめようとしない。
ヤダヤダと首を振る度に、柔らかい髪の毛が鼻を擽り漂う甘い香り。
その香りだけで酔わされそうになる。
細い顎を掴み少し乱暴に上を向かせ、次々と飛び出す文句ごと塞ぎにかかった。
「ふっ......んっっ....んンンっっ...ん〜っっ!!!」
突然重なった熱い感触から逃れようともがいてた動きが次第に小さくなっていく。
しばらく口内を掻きまわすと観念したのか、大人しく背を預けてきた。
「ふあっ......んっ.....」
ほんのりと滲んだ涙を舐め取ると、潤んだ瞳が見上げてくる。
耳元に顔を近づけソッと囁いた。
「放っておいて.....悪かった」
それと分かる程にビクンッと跳ね上がった肩。
「俺は.....別に何とも思ってないです。仕事と忙しいの知ってるし.....別に放っておかれたとか.....」
「ほ〜?ならなぜ拗ねる?」
「拗ねてなんか......ないです」
「隠すなら上手く隠せ。バレバレだぞ」
「隠してもないですし!う.....自惚れないで下さい!」
いつもは馬鹿がつくくらい素直なくせに、こういう時だけやけに意地を張りやがる。
まぁこれも素直だからこそか.....
そんな意地っ張りなお前も、心底愛しいと思うがここは譲るしかないか.....
「自惚れちゃ悪いか?」
「飛......ぃ?」
「お前が俺に逢いたいと思ってる、それが嬉しくて少々自惚れてしまうのは仕方ないと思うが?」
一瞬呆けたように飛影を見つめてた翡翠がみるみる大きく見開かれ、頬に赤味が差す。
頭から湯気を出しながら真っ赤になり俯いてしまった。
「悪くは....ないです。でも......」
「でも、何だ?」
「“俺が貴方に逢いたいと思ってる”なんて。ずっと....俺ばっかり待ってるみたいで......嫌です。俺ばっかり想ってるみたいで.....」
これ以上言わないと分からないのか....バカ狐が。
お前は一度張った意地はなかなか引っ込めないからな。
妙なとこで強情だから困る。
まぁ、でも今回ばかりは責任の所在は俺にあるようだし.....
「誰が.....自分ばっかり想ってるって?」
「飛影....えっっ??あれっっ.....??」
いつの間にか変わった視界。
座ってたはずなのに背中に感じるフカフカのカーペット。
一瞬の戸惑いは、見下ろす瞳を前に消え去ってしまった。
炎のように燃える真っ赤な瞳に見据えられた身体は、指一本すら動いてくれず。
「いいか、蔵馬。二度と言わないからよ〜く聞いておけよ。俺はどうでもいい奴の所になんかワザワザ逢いに来ない。待ってるのは俺も同じだ。お前に見送られた時からいつも次の逢瀬を考えてる。ずっと傍においておきたいとも......何なら有無を言わさずこのまま魔界に掻っ攫ってやろうか?」
----母さんが死ぬまでは傍にいてあげたい----
そうお前が願うから、必死に激情を抑えて大人しく一人で魔界に帰ってやってるというのに。
俺の必死の我慢も知らずにこのバカ狐は!!
挙句の果てにこの俺にこんならしくもない事まで言わせやがって!!
信じられないとばかりに見開かれた瞳から、翡翠の宝石が零れ落ちそうになる。
フイにコンコンっと音がして、室内に魔界の使い魔が飛び込んできた。
映し出された映像の中にいたのは、忙しさの原因とも言える張本人。
「よう、狐。手土産は気に入ったか?そのチビが“あいつが欲しがってるもので”なんて珍しく相談してきてな。まぁ、しばらく休みをやれなかった責任もあるし。お詫びとして受け取ってくれ。あぁ、飛影。2〜3日ゆっくりしてこい。どうせ愛しの狐ちゃんもイジケてる頃だろ?た〜っぷり可愛がってやれよ」
一方的に喋るだけ喋ってプッツリ途切れた映像。
ケラケラと大笑いする声だけがいつまでも響く中、桜色に染まる頬に負けないぐらい真っ赤な顔。
「あっのババァ....余計な事をベラベラとっっ!!」
「あっ..あの飛影....」
「何だ!!??」
「あの紅茶.....俺が飲みたいって言ったの、覚えてくれてたの?」
「.....悪いか.....」
プイッとそっぽを向いた顔にそっと細い指先が触れる。
「ありがとう、飛影......それと、怒ってごめんね.......」
「あんなの怒ったうちには入らん」
バツの悪そうに見上げる翡翠の中に広がる、優しい紅色。
徐々に近付いてくるその色の中に広がるのは、心から嬉しそうな微笑み。
至近距離で甘い感触が重なる直前、綻ぶ花びらから一つの言葉が零れた。
「飛影.....逢いたかったよ」
「.....知ってる」
----逢いたかったよ-----
それは離れてる距離をも越える魔法の言葉。
どれ程の時間が隔てようとも、その言葉を言ってくれるお前がいるから。
そうだな、蔵馬。
たまには言葉にするのも.....悪くはないかもしれない。
いつでもお前を想ってると.......
意地っ張りで拗ねてるお前も可愛いけれど。
その微笑みに勝るものはないからな。
fin
意地っ張りの拗ね蔵馬ちゃんをテーマにしたはずなんですけど、う〜ん.....微妙にスタンスがズレた感じが(汗)甘けりゃOKという事で(笑)
2012.12.18 咲坂 翠