企画室〜薔薇色の小箱〜

□【Sickness】
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「蔵馬.....だから言ったじゃんよ。無理すんなって」


「無理なんかしてない.....」


「してない....じゃねぇよ。顔、真っ青じゃねぇか」


休日の午後はどこもかしこも人で溢れ返り、いつもより密度の濃い街は窮屈さすら感じる。

満員の電車は人の熱気と効きすぎてる暖房の相乗効果で蒸し暑い空間と化し、寒さを防ぐ為に着込んだ洋服の下が汗ばんでくる程。

窓が閉め切られた車内には熱がこもり、不快指数が上がっていく。

早く外の新鮮な空気を吸いたい------

車内の誰もが同じようにウンザリと言った表情で、下車する駅に着くのを待ちわびていた。

もちろん扉に近い場所に立つ幽助も同様に.......

ごった返す車内の圧迫感から守るように腕の中に抱き寄せた蔵馬の様子が気になって。

むせる熱気が気持ち悪いのか、小さく眉をしかめて幽助に寄りかかってる。

それはきっと熱気のせいだけじゃなくて......

フッと零した溜め息の後、交わされた冒頭のやり取り。

どう見ても青ざめた顔に、体調の悪さが滲み出てた。


「蔵馬、やっぱり帰ろう。今日は部屋でゆっくりした方がいいって」


「やだ....幽助と一緒に出かけたい......」


部屋を出る前から何度も繰り返された会話。

朝から蔵馬の様子はおかしかった。

どこか上の空で、時おり辛そうに吐き出される息。

見て分かる体調の優れなさに外出の取りやめをそれとなく言い聞かせても、決して首を縦に振ろうとはしなくて。


「やっと幽助と出かけられるんだから....」


それを言われたら、強くは言い切れなかった。




北神に呼ばれて魔界を訪れた幽助を待ってたのは積み上げられた事務処理の山。

“頭を使うの苦手なの知ってっだろ????”と食って掛かっても涼しい顔で次々と運ばれてくる仕事。


「ホント!!!おめぇは優しい奴だよ!!!」


たっぷりと込めた皮肉にも動じない北神に恨みつらみの文句をぶつけながら、何とか全てを片付けたのは3週間後の事。

今までで最大の長丁場に、留守番をしてる蔵馬が寂しさを募らせていると思うと一分一秒が惜しくて。


----そうだ、幽助さん。近頃魔界で......----


何かを言いかけ“ちょっと待ってて下さい”と己を引き止める言葉は一切合切無視して、超特急で駆け戻った人間界。

真先に向かったマンションのドアを開けた瞬間に、気配を察してたのであろう子狐が飛びついてきた。


幽助のバカ.....


そんな文句すら愛しくて、3週間分の想いを込めて抱きしめた。

案の定、限界近くまで一人の夜に堪えてたのであろう恋人はギュっとしがみついたまま離れようとしない。

寂しい想いをさせたお詫びに思いっきり甘やかしてやって(勿論たっぷりと愛してあげて)、翌日のデートの約束も交わして。

3週間の空白という後ろめたさも手伝ってか、体調は気になりつつも強引に外出をやめるさせる事は出来ずにいた。

でもそれは間違いだったのかもしれない。

時間を追うごとに血色が抜け、青白く透き通っていく肌。

願いを叶えてやる事が全て正しいとは限らない。

本当に大切に想ってるのであれば.....


「蔵馬、降りるぞ」


「やだ.....幽助、大丈夫だから。だからこのまま....」


「だめだ!!!」


強い口調で言葉を被せ、有無を言わさず目的地を前に途中下車した。

代わりに駅のロータリーで拾ったタクシーに乗り込み、来た道を戻っていく。

電車と違って快適な温度が保たれてる車内の空気に、心なしかほんの少しだけ青ざめた顔に血が通い出したように見えた。

語気を強めた幽助の態度を“怒らせた”と勘違いしてるのか、蔵馬は終始俯いたまま。

無言で肩を引き寄せると、大人しく身を委ねてくる。

だけど、絡み合うはずの指は膝の上でキュッと拳の形に握り締められ、マンションに着くまで一度も繋がれる事はなかった。



部屋に戻ってくるなり直行したベッドルーム。

モコモコと着込んでいたコートを脱がせ、蔵馬が部屋着に着替えてる間に台所でグラスに水を入れてると小さく名前を呼ぶ声がした。

振り向くと、目に映ったのは不安混じりでジッと見つめる翡翠の瞳。


「幽助.....ゴメンね....」


「何でおめぇが謝んだよ」


笑いながらクシャっと紅に映える頭をなでると、不安に染まってた表情が緩む。

オズオズと遠慮がちな指が、幽助のシャツをキュッと掴んだ。


「俺こそゴメンな、きつい口調になっちまって。心配すんなって、怒ってなんかいねぇから」


ソッと頬をなぞる指先に微かに高い体温が伝わり、見上げてくる瞳は心なしか熱っぽく潤んでる。

強引にでも連れ帰って正解だったと、己の下した判断にホッとした。


「デート途中で止めちまってホントごめん。でも、体調の悪ぃおめぇを連れまわすほうが恋人として失格じゃん?具合が良くなった改めて今日の続きはしような?」


「......うん」


「だから今は大人しくベッドに横になる。いい?」


「分かった......」


フワッと微笑み素直に頷く。

優しい幽助の言葉に安心したのか、部屋に戻る事で張り詰めていた気が緩んだのか。

カクンっと膝が折れ、力の抜けた身体が倒れこんできた。

シャツを掴んでいた指がスルリと解け、宙をなぞる。

慌てて抱きとめた身体は、洋服越しでもはっきりと分かる程に熱かった------






それから丸二日。


蔵馬を襲った高熱は下がる気配を見せず、何度測っても体温計の数値は40度近くを示したまま頑として動かない。

冷たく濡らしたタオルも取り替えた矢先に熱を吸収してしまう。

下がらない熱は
蔵馬の体力を奪い、ずっと朦朧とした意識を彷徨わせたまま。


ただ.....


「幽....けぇ....幽助......」


荒い呼吸の下で、幽助を探すようにその名を呼び続ける声だけが唯一聞かせてくれる声。

弱々しい力で、それでもキュッと掴んだ手は決して放そうとしない。


「蔵馬......」


飲ませた解熱剤も何の効果も見せず。

これ以上何をしたらいいのか......

風邪を引いた蔵馬の看病は今までだって何度もやってきたし、高熱が下がらない事だってあった。

でも今回は今までと明らかに勝手が違う。

苦しんでる蔵馬を前に何も出来ない自分の不甲斐なさに、怒りすら覚える。

出来る事は、握り締めた手を放さずに傍にいてやる事だけなんて。


「くそツツ....どうすりゃいいんだよ」


苛立たしげに吐き出した言葉。

返事を返す者などいないはずの空間に、己以外の声が響いた。


「珍しく荒れてるじゃないか」


「飛影???おめツツ.....何でここに....」


トンッと窓辺から降り立ったのは、人間界では見かける事がめっきり珍しくなった戦友。

室内に吹き込んだ一陣の風が室温を数度下げた気がした。


「蔵馬は?まだ高熱が続いてるのか?」


「あぁ....解熱剤も効かねぇし....って、おめぇ何で蔵馬の熱の事知ってんだよ??」


蔵馬が具合が悪い事は桑原ぐれぇにしか言ってないのに.....


「人間界の解熱剤なぞ効くか。そもそもこいつの体調不良の原因は貴様にあるんだぞ」


「解熱剤が効かねぇって...つうか!!俺のせいってどういう事だよ!!??」


聞き捨てならない台詞に思わず張り上げてしまった大声。


「幽.....けぇ....どうした...の?」


ただならぬ気配を感じ取ったのか、閉じられてた瞳が弱々しく開き繋いだ手に微かに力が入った。


「蔵馬....悪ぃ、起こしちまった?」


触れた額は燃えるように熱く、呼吸すらも苦しそうで。

気休めにもならなくても、何もしないよりはとベッドサイドに置かれた解熱剤に手を伸ばす。

掴んだ薬が伸びてきた別の腕に払われた。


「俺の話を聞いてたか?こんなもの何の役にも立たん。飲ませるならこっちにしろ」


「こっちって....」


「北神だったか?お前に渡してくれとご丁寧に百足に訪ねてきてな。お前が話も聞かずに飛び出していったと嘆いていたぞ」


「いや....マジ言われてる意味が分かんねぇんだけど...」


突然やってきたと思ったら得体の知れないモノを飲ませろなんて言われて、挙句の果てに蔵馬の高熱の原因が己のせいだって言われても納得出来るはずがない。

渡された薬らしき錠剤の入った袋を手に、ポカンとする幽助に深い溜め息が被さった。


「魔界で流行り風邪が蔓延しててな。3週間も滞在してたんだろ?ベッタリと張り付いた菌をお前が持ち帰ったんだ。しばらく魔界から遠のいてる蔵馬が免疫を持っていないのは当然の事だろ」


“あっっ”っと幽助の口から何かを思い出したような声が零れた。


---幽助さん、近頃魔界で----


あの時、北神が言い掛けたのは流行り風邪の事だったのだと、今さらながら納得してしまう。

“ちょっと待って”と俺を引きとめたのは、蔵馬が罹る事を予測して薬を手渡そうとしてくれてたのか.....

薬を渡すだけ渡すと、すぐに窓から飛び立っていった飛影を見送った後に猛烈に込み上げてきた自己嫌悪。

己のせいで何よりも大切な人を苦しませてしまってるなんて、格好悪いどころの話じゃない。

だけど自己嫌悪に浸ってる時間があるのなら今は....

白い錠剤を口に含み、潤いを失った唇を己のそれで塞ぎ、籠る熱で熱くなった口内にゆっくりと薬を押し込めていく。

口に含ませた水で喉の奥に流し込んだ。




薬が効いているのか、夜になる頃には僅かだけど落ち着きを見せ始めた蔵馬の様子にホッと安堵の息が洩れる。

まだ高熱は下がりきらず、呼吸も荒いままだけど。


---3日も経てば熱は収まる。安心しろ。免疫は薄いとはいえ蔵馬も一応は妖怪の身だ。これ以上悪化することはない---


飛影の言葉を信じるなら、明日には熱も下がるはず。


「ゴメンな....蔵馬....」


この二日間ほとんど解かれる事のない、絡ませあった手に少しの力を入れる。

現状打開の糸口が見えた事に気が緩んだせいか、一時も休まずに蔵馬の様子を気に掛けてた疲れがどっと押し寄せてきた。

必死に起きようとする意思も、急激な睡魔には到底敵わない。

またぶり返すかもしれない体調不良の波を気に掛けつつも、睡魔が幽助を飲み込んでいく。

数分後には、ベッドに突っ伏すようにして眠りの世界に入り込んでしまってた。

高熱に浮かされながらも絶対に幽助の方向に背を向けない蔵馬の手を握り締めたまま.......
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