企画室〜薔薇色の小箱〜
□【Crossing Time】
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「雨.....やまないねぇ」
昼過ぎから降り出した雨はその足音を緩める事なく、夜になっても街をしっとりと濡らし続ける。
真昼の太陽を覆い隠していた雨雲は、夜の星空の輝きも閉じ込めどんよりとした空気を漂わせていた。
先程からベランダに立ち飽きもせずに空を見上げる翡翠色の瞳。
空から堕ちて来るのはバケツを引っくり返したような土砂降りの雨。
じっと見上げたところで灰色の空に星が瞬くはずもないんだけど......
「明日も雨なのかな........」
テレビの天気予報では降水確率は50%って言ってた。
半分は雨、だけど半分は晴れ。
どっちに転ぶかなんて明日にならなきゃ分からないけど。
「ま〜だこんなトコにいた。見てたって雨は止まねぇぞ」
「幽助。だってぇ〜、雨だったら明日.....」
「明日?あ〜、心配すんなって。雨だからってデートキャンセルなんてしねぇから。そん時は映画にでも行こうぜ、なっ?」
ベランダにまで振り込んでくる雨。
“濡れるぞ”と中に入るように促しても、瞳は祈るように空を見上げたまま。
「海....行きたいなぁ......」
夏も近付き、日中は汗ばむ程の気温上昇が見られるこの頃。
そろそろ今年初めての海が見たくて、幽助におねだりした海へのドライブデート。
即答でくれたOKの返事。涼しげなコバルトブルーの海を想像しただけでワクワク楽しみだったのに。
デートを明日に控えてこの雨模様。
50%の確率も、このままじゃ100%に変わっちゃうんじゃないか?
これでもかと水飛沫を巻き上げるように地面を叩く雨に、気持ちは灰色の空と同様にどんよりと濁ってくる。
「ほら、蔵馬」
フイに目の前で揺れた何かが、視界に広がってた雨のシャワーを遮った。
「.......テルテル坊主?」
ユラユラと左右に揺れてたのは、頭でっかちの雨除けのマスコット。
「これ下げとけば絶対明日は晴れるって」
「本当に晴れる?」
「俺が言ってんだからそうなんの!」
もし明日の降水確率が100%だったとしても、本当に晴れるような気がする。
幽助の言葉には、そんな不思議な響きがあった。
「明日はきっと晴れるね」
安心したようにコテンと身を寄せてきた蔵馬の肩を抱き、部屋の中に戻る。
後ろ手に閉められたら窓。
背中に回された腕越しに振り返ると、ニコニコ顔のテルテル坊主が"大丈夫だよ"って笑ってた。
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「あれ?幽助、本読んでたんだ。え?小説??」
潜り込んだベッドの脇に置かれてた読みかけの文庫本。
散乱する漫画本や雑誌は見慣れてるけど、活字なんて初めてお目にかかる。
翡翠の瞳がビックリ真ん丸くなるのも無理はない。
「え?って何だよ。俺だってたまにはこういう奴も読むんだぜ.....って、初めてみてぇなもんだけどな」
「ごめんね、でも幽助が小説読むなんて珍しいから......ビックリしちゃった。それで?何読んでるの?」
挟まれた栞をずらさないように、パラパラとページを捲りざっと目を通した解説文。
パラレルワールドに迷い込んだ少年の話。いわゆるSFモノらしいのだけど.....
(何か、3ヶ月前のあの事みたい......)
違う世界の幽助と過ごした一日。
寝ぼけてたとか夢とかじゃなくて、本当にあった不思議な一日。
それはきっと幽助にとっても記憶に残ってるであろう体験。
「桑原の奴が読んでたんだけどよ。ほら、何か話の内容が他人事みたいな気がしねぇっつうーか」
別の世界の蔵馬と過ごしたあの日。
同じ名前のはずなのに、今隣にいる恋人とは真反対だった蔵馬。
今でももしかしたら夢だったんじゃねぇかって思う時もある。
でも------
無意識のうちに触れた首筋。
あの時にくっきりと付けられた紅い花びらは、本物だった。
重ねた身体の体温も。
ほんの一瞬だけ三ヶ月前に飛んだ思考は、バサリと何かが落ちた音で元に戻される。
目に付いたのは床の上に無造作に投げ出され、せっかくの栞が意味をなさなくなった読みかけの本。
拾おうと屈めた身に、軽い重みがぶつかってきた。
「幽助.....やめてよ」
「蔵馬?」
ギュッと抱き付いてきた身体は小さく震えていて、幽助の顔に怪訝な表情が浮かぶ。
「今.....もう一人の“蔵馬”の事考えてたでしょ?」
「えっと...悪ぃ、ちょっと思い出しちまって。パラレルワールドって想像の世界じゃなくて本当にあったんだなって」
確かに存在したもう一人の蔵馬。
もしかしたらもっと他の世界があって、まだまだ別の蔵馬がいるのかもしれない。
何の意味もなくて、ただ“不思議な体験だったよな”程度の思い出し方だった。
身体を重ねた事も、感触を思い出しはすれど特に深い意味はない。
でも、首筋を気にした仕草がもしかしたら蔵馬を......
「嫌....だよ.....」
耳に届いた震える声に、予想通りの不安を与えてしまったのだと分かった。
自分が別世界に飛ばされて、もう一つの世界の“幽助”がここに来て。
約束してた水族館にあっちの俺と行った事も、俺がもう一人の“蔵馬”を抱いたのと同じように.......
何もかも話してくれた。
その話の節々に感じられたのは、俺がいない間に感じてたであろう不安。
いるべき世界に戻ってきた時に、己の首筋に咲いてた花弁を見てその不安を増長させてしまった事も分かってた。
異なる世界の俺が入れ替わるなんて、きっと二度とないんだろうけど。
それでも大切な人の心に波を立たせるなんてしちゃいけない。
「幽助ぇ....やだよ。他の“俺”の事なんか考えないでよ......」
こんな事言うのは我侭だって分かってる。
自分だって同じように違う世界の“幽助”と一日を過ごして、身体を重ねた。
だけど、もう一人の“蔵馬”だとしても、自分にとっては他人と同じ。
幽助が笑いかけて、触れ合って、そして......
そう考えただけで、奥底から湧き上がるどす黒い感情が溢れるのを止められずにいた。
「ゴメンね、幽助.....みっともないって分かってるけど、でも....嫌なんだもん....」
記憶の中に残る事すらも、本当は嫌。
ギュッと強くしがみついた身体が、さらに強い力で抱きしめ返された。
「ゴメン、蔵馬。不安にさせちまって。でも俺言ったろ?おめぇに勝る奴はいねぇって。だから心配すんなって、な?」
腕の中に包まれて聞く優しい声と優しい言葉。
唯一自分だけが知ってる腕の温もり。
ドロドロと濁ってた感情が、透明に変わっていく。
子供染みた独占欲だって思われても、誰にも渡したくはない。
掛けてくれる声も向けてくれる笑い顔も、包んでくれる温もりも。
幽助の全ては自分だけのものだから。
グッと包み込む腕に一瞬の強さを感じた瞬間、抱き付いてた身体ごとクルリと反転して180度変わった視界。
水平に見えてたはずの幽助の瞳が、至近距離で自分を見下ろしてた。
フワリと掻きあげられた前髪に隠れてたおでこの上で、小さなkissが弾けた。
「もしもの話だけど、また向こうの世界のおめぇに会う事があったとしてもさ、そん時は絶対におめぇを不安にさせるような事はしねぇから」
指に絡ませた深紅をサラサラと梳かしながら、見下ろしてくるのは優しい瞳と不安を汲み取ってくれる声。
幽助の事を疑ったりはしない。
もし3ヵ月前の出来事が繰り返されたとしても、言葉通りに信じてられる。
でも......
「やだっ.....」
伸ばした腕を首もとに絡ませ、離さないようにしがみついた。
「幽助が違う世界に行っちゃうとか、もう嫌だからね」
ほんの一時でも、自分の知らない、手の届かない場所に行ってしまうのは嫌。
ずっとずっと、自分の傍にだけ居てほしいから......
「分かってる。おめぇを一人にしてどっか行っちまったりなんかしねぇよ」
額から滑り落ちてきたきたkissが、柔らかな唇を包み込む。
とろけるような口付けは、世界でたった一人だけが与えてくれる甘さ。
身体中が溶けきってしまいそうな程の愛撫も、何もかもが。
誰にも渡せない自分だけのもの......
どこにもいかないように、誰かに奪われないようにギュっと抱きついた。
幽助の熱を身体中で感じながら-------
「蔵馬....大丈夫か?」
「んっ、平気」
「全然平気には見えねぇけどな」
「う〜//////平気だもん」
珍しくちょっぴり積極的だった蔵馬につられて、普段より激しかった営み。
もう動けないとでもいうようにシーツに身を埋め、瞳をしばたかせながら口にする文句の合間に洩れる小さな欠伸。
「やっぱ平気じゃねぇじゃん、ほら頭のっけて」
腕を伸ばし即席の枕をつくってやると、すぐに軽い重みが乗っかってきた。
「ねぇ、幽助。明日......海....行けるといい......ね......」
「そうだな...って、もう寝ちまったのかよ(苦笑)」
スヤスヤと気持ち良さそうに眠る愛しい寝顔にお休みのKISSを落とし、その身を夜の闇から守るように抱きしめた。
「お休み、蔵馬」
夢の世界の入り口で辛うじて聞こえたであろう声に、小さな微笑が返ってくる。
2人で海見に行こうな。
明日はきっと晴れるから........