黒龍の章〜飛影×蔵馬〜

□【chocolate in the bathroom】
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「お前は本当に甘い物が好きなんだな」


ほんの少しの呆れが混じった声に、生クリームを掬い取っていたフォークの動きが止まる。


「....好きですけど....おかしいですか?」


ちょっとだけムッとしたように見上げてきた翡翠の瞳。

いつもより細くなった目と眉間に寄った皺。

怒ってはいるらしいけど、ほとんど迫力が見えない膨れっ面に、躯が可笑しそうに吹き出した。


「そんな事は一言も言ってないだろ?“好きなんだな”ってただ聞いただけじゃないか」


ケタケタと声を転がせる笑い方に、蔵馬がムッと眉を吊り上げた。


「やっぱり馬鹿にされてる気がします(-_-;)」


「してない、してない」


ヒラヒラと手の平を振る仕草がつっかかるのか、動きを止めたままのフォーク。

ジト〜っと見つめてる恨めしげな視線の先で、何事もないかのようにカップを傾ける女帝を前に、言いたい文句は山ほどあるけど.....

そんな事はっきりと言えるはずもなく。

手にしたフォークをいったん皿の上に置き、薔薇模様のティーカップを手元に引き寄せた。

納得いかない気持を八つ当たりさせるように、小さなティースプーンで中身をクルクルっと高速でかき混ぜる。

カップの中で薄い琥珀色の液体が渦を巻き、フルーツの甘い香りが広がった。

立ち昇る湯気をフーフーと冷まし、口元にカップの淵を近づけるや、またも被さってきた言葉。


「砂糖とミルクはいいのか?甘さが足りないんじゃないか?」


“ほら”と差し出されたガラス瓶の中に、ぎっしりと詰まった白い角砂糖。

一瞬注がれた翡翠色の視線が、プイっと逸らされた。


「結構です!!」


プリプリと怒りながら傾けたティーカップ。

程よい熱さになった液体が、コクリと喉を通過していく。

口の中でフワっと広がるフレッシュフルーツの香りは、魔界屈指の高級店だからこその香り。

一口飲み込んだ蔵馬の顔に、何だか冴えない表情が浮かび上がる。

香りは天下一品、申し分はないのだけど.....


「....苦っっ.....」


思わず零してしまった言葉が、躯の笑いの引き金を引いた。


「だから甘くしなくていいのか聞いてやったのに(苦笑)その紅茶な、ビターが売りなんだよ」


「苦いって....全然香りと味がマッチしてないじゃないですか(>_<)」


「だったら、意地張らずに甘くすりゃいいだろ?」


再び目の前に差し出されたガラス瓶を、それでも不服そうな表情が見つめる。


「....このままでも飲めます....」


白旗揚げて折れるのが癪なのか、“いりません”と断固とした拒否の返事が返ってきた。

そのクセ苦味を口の中に残してはおけなかったのか、ティーカップと同じ薔薇模様の皿に乗ったケーキをパクッと口に入れる。

今度こそ口の中で溶けた甘さに、プックリ膨れていた頬が蕩け落ちた。

ついさっきまでは甘い物好きをからかわれて、馬鹿にするなとむくれてたのに。


お前こそ、言葉と態度がマッチしてないぜ-----


口にしたら、きっと戻った機嫌を損なわせるのであろう台詞は、表に出ることなく噛み締めた笑いの奥にしまいこまれた。


時おり百足を訪ねてくる美しき客人。

依頼した仕事をこなす時は真剣な眼差しで書類に向かい、周囲の誰もが舌を巻くスピードで捌いていく。

他を寄せ付けない仕事オーラには、百足の主ですら声をかけにくい程。

そんな客人も用事を済ませば、出された甘いもてなしに満面の微笑みを零す。

フンワリと柔らかな微笑みは、春色の花にも似ていて。

今も目の前で見せてくれるのは、本当に嬉しそうな表情。

見ているだけで、不思議と穏かな気持ちになれる。

だけど......

生クリームたっぷりのケーキを頬張りながら、結局紅茶の中にポンポンッと投入されていく大量の砂糖。

やっぱり度を越してるだろ??とツッコミどころ満載の甘党にはいつも呆れてしまう。

甘い物に対しては抵抗がない自分ですらそうなんだから、あのチビは.....

甘い物にはめっきり縁がなさそうな、寧ろ苦手であろう飛影がこの光景にどう溶け込んでいるのか。

これ程面白い想像はない。

笑いをかみ殺しながら蔵馬を観察する躯が、何かを思いついたようにフと口を開いた。


「そういえば、もうすぐバレンタインだったな。今年も飛影には手作りチョコか?」


「あっ....え、えぇ//////」


ニコニコと嬉しそうにケーキを頬張っていた笑顔が、意味合いの違う微笑みに摩り替わる。

それは、大切な人の為に創り出される微笑み。


「あのガキは甘い物苦手だろ?」


「そうなんですよ。だからいつもビターチョコを作ってます」


この紅茶みたいにね、とカップを指差し小首を傾げる。


「ふ〜ん....あいつがチョコを食べてる姿は想像もつかないけどな」


「そうですか?意外とちゃんと食べてくれますよ(^^)」


「それはお前が作ったもの限定でだろ?」


「ううん。人間界で一緒に出かける時は、一緒にスイーツの店に入ってくれますし★」


それも相手がお前だからだろ......

この愛らしい狐にゾッコンな仏頂面の部下が、恋人の前だけで見せる唯一の顔。

それがどれだけレアな事なのか。


「そっか。飛影はお前の言う事なら何でも聞いてくれるんだな」


キョトンっと見開かれた瞳が、“ん〜”っと照れたように綻んだ。


「はい....//////」


幸せを一杯に表現した返事を返した蔵馬の口元から、“あっ”と何かを思い出したような声が小さく洩れる。


「何でも.....じゃない時もありますけど....」


語尾をほんの少し濁すようにして、たっぷりの甘さで飲みやすくした紅茶をコクリと飲み干す。


「特にバレンタインの時期は(-_-;)」


バレンタインに強めのアクセントを添えて、カップ越しにチラリと送った視線。

何かを言いたげな空気を残したまま、空になったカップをテーブルの上に置いた。


---バレンタインの時期は....---


強めの口調で紡がれた言葉が、躯の記憶を呼び覚ます。

そういえば、ここ数年のバレンタインは飛影のパトロールが忙しくて、当日に休みをやれない事が続いてた。

わざとバレンタインに合わせて面倒な仕事を割り振っている訳じゃないけど。

なぜか間の悪いタイミングというのは重なるもので。

だけど、飛影だけ特別扱いして希望通りの休みをやる訳にはいかず。

1日2日遅れた所で逢える事に変わりはないだろうに....

【特別な日】にこだわる狐ちゃんからしたら、そういう問題じゃないんだろう。

ジト〜っと無言で見つめてくる視線を受け、躯が深々と溜め息を吐き出す。


(俺は何一つ恨まれるような事はしてないぞ....)


それを今言った所で、納得してもらえるはずもない。


「そう俺を責めるなよ。今年はちゃんとあのガキに14日の休みをやるから」


「本当ですかぁ〜....?(-_-;)」


「何だその疑いの眼差しは....」


「別に(T_T)ただ....期待はするなって教訓を学んでますから。期待してないだけです」


怒っているというよりはただイジケているだけ。

幼子のような可愛らしさは、確かに言う事を叶えてやりたくなる不思議な魅力を纏ってた。


「分かった、分かった。今年はお前の期待を裏切らないでいてやるから」


掛けた言葉に向けられたのは、未だに疑い深そ〜な視線。

それでも一緒に過ごせる時間を直接確約して貰えたのが嬉しいのか、残ってるケーキにフォークを刺す。

蔵馬とケーキを交互に眺める躯の頭の中で、ちょっとした企みが沸々と浮かび上がってきた。


たまにはあのガキも「甘い」チョコを食べるのも悪くないはず。

今年は恋人達に、俺からのとびっきりのバレンタインをプレゼントしてやるのも.....


フフっと怪しげな笑いをかみ殺す躯を、クリッと丸くなった翡翠が怪訝そうに見つめてた。




***********************



そしてやってきた約束の14日。


「ちょっと躯!!!急にやってきたと思ったら何なんですか!!??」


女王の私室に響く少し高めの声に、多少の苛立ちが混ざる。


「まぁ、そう怒るな。もうすぐ飛影も戻ってくる。約束通り、今年はちゃ〜んと当日にチョコ渡せるんだぜ?」


「渡せるって....俺まだ作りかけだったんですよ(T_T)それをいきなり....」


蔵馬がプリプリと怒る原因----それはほんの少し前の事。


---今年はパトロールを早めに切り上げて人間界に行けそうだ---


最愛の人から届いた言霊が、最高のバレンタインの訪れを知らせる。

グングン上昇する上機嫌とウキウキと舞い上がる心。

飛影が来る前にチョコレートを完成させようと、台所で準備をしている最中に突然やってきた百足の統治者。

急に現れたと思ったら“そんなのいいから来い”と腕を引かれ、あれよあれよと空間の切れ目に連れ込まれた。

気付けばあっという間に百足の中。

せっかく14日に過ごせるバレンタインだから、ゆっくりと自分の部屋で過ごしたかったのに。

意味も分からず百足に連れてこられた上に、渡すチョコレートだって完成してない。

もうすぐ飛影が帰ってくるって言われても、何だか中途半端な感じがする。

珍しく躯の前で全開にした不機嫌モードもなんのその。

当の躯は“いいから、こっちこっち”と、今度は部屋の外に蔵馬を連れ出した。

迷路のような廊下を何度かグネグネ曲がり、ようやく一つの扉の前で足が止まる。


「中に入ってみろよ」


半ば強引に押し込められた室内。

甘ったるい香りが漂う室内は、外よりも数度温度が上がったように感じた。


「え....?凄い....何ですか、これ?」


目の前に広がった光景に、思わず蔵馬が息をのんだ。

真っ白い陶器のようなバスタブの中にはられた茶色い液体。

バスタブに設置された小さなタワーから、同じ色の液体が滝のように流れ落ちる。

それはどこかで見たような....

フワッと薫ったコクのあるカカオの匂い。


「もしかしてこれって....チョコレートタワーですか?」


振り返った翡翠の問いかけに、無言の笑顔が答える。


「という事は....え?チョコレートのお風呂????」


「正解♪」


「凄い....ですけど、何でチョコレートのお風呂なんか....」


頭の中にいくつものクエスチョンマークは浮かぶも、初めてみる物に興味津々といった瞳がバスタブを覗き込む。


「何でこんな物があるか知りたいか?」


「えぇ...まぁ...」


興味が先立ち、背後にいる躯の顔に浮かんだ悪戯な笑みに気がつかず....

トンっと肩を押され崩してしまったバランス。

身を乗り出している状態から、前のめりに倒れるのは自然の流れ。


「えツツ??えっ....わわツツツツ!!!!」


重心を元に戻す間もなく、無警戒だった身体が無情にも茶色い海の中に落っこちた。

チョコレートの波飛沫が大理石の床の上で弾ける。


「躯????何っするんですか!!!!悪戯にも程がありますよ!!!」


何とか顔から突っ込むのだけは逃れたけど、身体中にベタベタとチョコレートが絡みつく。


「躯って....え?あれ?」


気付けばすぐ背後でにいたはずの気配が、扉近くまで遠ざかってて。


「今日はバレンタインだろ?俺からお前へのプレゼントだ」


「プレゼントって....こんなプレゼントいりません!!!(-_-;)」


悲鳴にも似た叫びにも耳を貸そうとせず、浴室を出て行こうとする躯を慌てた声が引き止める。


「ちょっと!!!どこに行くんですか!!??俺をこのまま放置ですか?(>_<)」


「せっかくのプレゼントなんだから、ありがたく思えよ。それとここにタオルは一切ないからな♪」


質問に答えるどころか、意味不明な言葉を置き土産に、鼻歌を口ずさみながら本当に出て行ってしまった。


「こんなのありがた迷惑です!!!え?嘘...本当に放置ですか?もう〜!!!躯ってば〜!!!!」


キャンキャン喚きたてる子狐の声が反響し続ける浴室。

閉めた扉の奥で聞こえる声を背中で受けながら、我慢出来ないと悪戯の仕掛け人が吹き出した。


「たまにはあのガキに“甘い”チョコを食わせてやれ」


フルフルと震える腹を抱えながら、躯の足音がその場から遠ざかっていった。
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